2016/02/27

浜田省吾 #3 1979年9月

浜田省吾 #2の話の続きです。

++++++++++++++++++++++++++++++++

 ニッポン放送での浜田省吾さんのトラ(エキストラ)の仕事を終えてから数日後、マネージャーのAさんから電話がかかってきた。「ちょっとお話があるので、事務所までご足労願えませんか?」何だろう?と思いながら目黒にある事務所に行った。

事務所に着くとAさんは「今度西本君がバンドを離れることになったので、浜田のバンドに入ってくれないだろうか?」と単刀直入に切り出してきた。
ぼくは「えっ!?ぼくは西本君から何も聞いていないですよ。おかしいな〜・・?」と困惑を隠しきれずに答えた。

「私も詳しくは知らないんだけれど、西本君は甲斐バンドに行くことになったみたいですよ。」とAさんは言った。
「え〜〜!ますますそんな話は聞いてませんよ。」正直ぼくはびっくりした。

というのも、その年の6月までぼくは甲斐バンドのツアーに参加していたが、そんな話は全くなかったし、ましてや同居している西本くん本人からもそんな話は聞いていなかった。

「まぁ、西本君のことはさておき、今度浜田のバンドはツインキーボードにしたいんだよね。で、板倉くんにはピアノを担当してもらって、もう一人のキーボーディストにはオルガンとシンセを担当してもらおうと考えています。もう一人のキーボーディストは先日の公録でも一緒だった一戸清くんです。」

一戸清くんと言えば、ぼくが高校生だったときに組んでいたバンドのデモテープを彼の自宅で録らせてもらったり、同じ千葉のアマチュアサークルでも一緒だったり、ぼくがプロのミュージシャンになるきっかけとなった何かと縁の深い人物だ。

兎にも角にもいつの間にかそのような話になっていて、ぼくとしてもとても光栄なお話なので、喜んでやらせてもらうことにした。

喜んでいる間もなく、とりあえずは9月にやることが決まっている九段会館でのワンマンコンサートに向けてのリハーサルが始まった。

正確にはこのコンサートまでは、もう一人のキーボーディストは一戸くんと西本くんが、スケジュールに合わせて交代で担当するということになっていて、九段会館後からは一戸清くんにスイッチするという段取りとなっていた。

1979年9月19日、日本武道館のすぐ近くにある古めかしい建物の九段会館でのコンサートの日が来た。
この時のコンサートは関係各位にはあまり評判のいいものではなかったらしく、ぼくも正直あまりよく覚えていない。

ただ初めて浜田省吾さんと一緒に、ホールでのコンサートを行ったという喜びと、今後への期待が膨らんだ記念日となったことだけは確かだった。