2016/03/13

浜田省吾 #1 1978年

今までのぼくのミュージシャン生活の中で、一番濃密な時間を過ごしたのが浜田省吾さんとのツアーやレコーディングでした。
浜田さんにまつわるエピソートは枚挙に暇がないのですが、初めて浜田さんと会った時のことを思い出してみようと思います。

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それは1978年のことだった。
当時ぼくは友人の西本明くんと、千葉県市川市の市川駅近くにあるアパートで生活していた。

西本明くんとは友達の紹介で知り合った。
彼もぼくと同じキーボードプレイヤーで、好きな音楽もとても似ていて、知り合ってすぐに意気投合した。
そして一緒にバンドを組んだりしているうちに、いつの間にか彼はぼくの住む六畳一間、風呂無しのアパートに転がり込んで来ていて、ぼくは明くんと共同生活をおくることとなった。

明くんがぼくのアパートに転がり込んで来て、部屋がいっきに狭くなった。しばらくは我慢して住んでいたのだが、やはりどうにも狭い。
家賃を折半することで少しだけ余裕も出来たので、僕たちはもう少し広いところに引っ越すことにした。

市川駅から徒歩五分ほどの場所に2DKの部屋を見つけた。 今度は風呂付きである。
僕たちは嬉々として家賃四万五千円のアパートに引っ越した。

当時ぼくは甲斐バンドのサポートミュージシャンとして、日本中をツアーで駆け回る日々を過ごしていた。
その頃、明くんは浜田省吾さんのバックバンドに在籍していて、ある日千葉県船橋市の船橋ヘルスセンターでの仕事の帰りに、バンドのメンバーと共に、浜田省吾さんを僕たちのアパートに連れて来た。
その日仕事がオフだったぼくは、自宅でレコードを聞きながらのんびりと過ごしていた。すると突如ドヤドヤと大勢の連中が、狭い2DKのアパートに押し掛けてきた。

やって来たのは後に一緒に浜田さんのツアーを回ることになるベーシストの岡嶋BUNちゃん、ドラムの鈴木俊二くん、ギターの町支寛二さん、浜田さんのマネージャー、そして浜田省吾さんの5人だった。

ドラムの俊ちゃんが運転する楽器を載せたワゴン車に乗って、僕たちの住むアパートに立ち寄ってくれた5人は、ライブの余韻を引きずっていたせいかとても陽気でフレンドリーだった。

3階建ての、マンションと呼ぶにはおこがましい、アパートに毛の生えたような建物の四畳半に男達7人が座った。たちまち部屋はぎゅうぎゅうになった。
殆ど全員と初対面だったぼくも、すぐに打ち解けることが出来た。

浜田さんとは以前、ぼくが庄野真代さんのバンドでキーボードを弾いていたときに、広島のカワイ楽器のホールと東京の後楽園ゆうえんちの特設ステージで、庄野真代さんと浜田省吾さんのジョイントライブのような形で一緒だったことがあった。でもその時は浜田さんと言葉を交わすことは無かった。

我が家にやって来た浜田省吾さんは、とても気さくな方で終始ニコニコしていた。
その日、船橋ヘルスセンターでのステージの様子を面白可笑しく話してくれたのをよく覚えている。

それから約一年後にぼくは浜田さんのバンドに加わることになり、そこから長い付き合いが始まるのであった。

  • 1978年、市川のアパートで西本くんと。