2016/03/17

熱海 #1 1976年5月

今から40年程前、ぼくがまだ19才だった頃、ひょんなことから熱海の温泉旅館で暮らすことになりました。
1976年の5月から6月ぐらいまでの僅か二ヶ月程のことですが、この二ヶ月間の出来事が、その後の自分の音楽人生に多大なる影響を及ぼしました。話は多少長くなりますが、何回かに分けてお送りします。

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その頃19才だったぼくは音楽専門学校に通うのも飽きてきて、あてもなくフラフラしながらバンド活動をやったりして、何となく毎日を過ごしていた。

そんなある日、アマチュアサークルの違うバンドでピアノを弾いていた一戸清くん(後に浜田省吾&The Fuseの一員として一緒にやることになる)から、電話がかかってきた。

「もしもし一戸だけど、突然なんだけどさぁ、来週から熱海のほうに行かない?」いきなりの内容にぼくはアゼンとしながら、「熱海に行って何するの?」と聞いた。

「それがさぁ、ハコバンのトラの仕事なんだけどさぁ、急にぼくが都合悪くなって行けなくなったんだ。悪いんだけどちょっとの間だけぼくの代わりに行って、オルガン弾いてくれない?」ちなみにハコバンとはクラブやレストラン等のお店で、一定期間契約して演奏するバンドのことである。
トラとはエキストラの略、ピンチヒッターのことである。

「代わりにって言われても、あまりにも急だし自信ないし、、。だいいちオレ、オルガン持ってないし。」と、かなり消極的になりつつ答えると、「あっ、オルガンなら向こうにあるから。平気平気、行ってよ!なっ、決まりっ!」とか言って、ぐずぐずしているぼくに考えるスキも与えずに、一戸くんは決めてしまった。

あれよあれよと熱海行きが決まってしまって、どうしたものかと途方に暮れていると、すぐに出発の日がやってきた。

5月の連休のある日ぼくは渋谷の駅前で、一緒に熱海に行くことになった友達のドラムのSくんと、バンマスの(バンマスとは「バンドマスター」の略。バンドのリーダーのこと)運転するワゴン車が来るのを待っていた。
その日はあいにくの雨模様で、まるでこれからの行く末を案じているかのような天気だった。

程なく楽器車を兼ねたバンマスのワゴン車が到着し、ぼくとSくんは車に乗り込んだ。
ワゴン車には楽器やらアンプやらが満載されていてとても重そうである。
車内の前席にはバンマスともうひとり目つきの悪いリーゼント頭の男が乗っていた。

ぼくとSくんは恐る恐る車の後部座席に乗り込み自己紹介をした。
するとバンマスが「オレはカネミツ、よろしくな。あと隣りのこいつはベースのマツバラ、タメバラって呼んでやってくれよっ!」と、不機嫌そうに言った。

いきなりのコワモテ二人との対面にビビリまくりながらも、腹を据えたぼくとSくんは「とにかくお世話になります、よろしくお願いしまっす!」と、まるで応援団の新入生にでもなったような気分で言った。

都内を出て二時間程で熱海に到着した。車から降りると、目の前に大きな旅館があった。静観荘という名のこの辺りではかなり有名な旅館らしい。
静観荘は海のすぐ前にある旅館で、国道135号線をはさんで金色夜叉で有名な「お宮の松/貫一お宮の像」が見えた。

我々は正面玄関ではなく、従業員の通用門のようなところから中に入った。そこから従業員用のエレベーターに乗って、これから二ヶ月ほど寝泊まりすることになる部屋に案内された。

あわよくば旅館の一室でもあてがわれるのだろうと思っていたぼくの思惑とはうらはらに、案内された所は旅館の屋上であった。屋上からは目の前に広がる海と遠くに初島が見えた。
屋上には掘っ建て小屋のような建物がぽつんと立っていた。どうやらそこが我々の寝泊まりする場所らしい。

中に入ると、八畳ほどの部屋が二つと簡単な洗面所とトイレがある。部屋はベニヤのような薄い壁で仕切られていてはいるものの、それは申し訳程度にいちおう仕切りましたぁ、というシロモノだった。おそらく隣の部屋に音は筒抜けだろう。

それでも二部屋あるということは、二人ずつの割当になるのでまぁ悪くはないな、などと思っているとバンマスが「俺達はこっちの部屋を使うから。もう一つの部屋は先客がいるので入っちゃダメよ。」と一言申した。

「え〜っ、四人で一部屋ですかぁ〜。」とSくんが言うと、「グダグダぬかすんじゃないの!」ピシャリと言われた。この狭い部屋で四人で寝泊まりするかと思うと、気が重くなってきた。「先客って誰ですか?」Sくんが聞いた。「ダイナブラザーズって言うバンドの連中だよ。」「ふーん、何か聞いたことある名前だなぁ。まぁ、後で挨拶でもすればいいっか。」とぼくは思った。

部屋に荷物を置いて少しの間くつろいでいると、バンマスが「さっそくステージに行ってみるか、今日から仕事だしな。」と軽く言った。「えっ!?今日から仕事?」「そうだよ、何驚いてるんだ?」てっきり今日は仕事はなくて、いろいろとレクチャーを受けた後、明日から仕事に入るのかとばかり思っていたぼくはかなり青ざめた。

「いきなり何を演奏するんですか?リハーサルもしていないのに。」「リハーサル?そんなもんあるわけねーだろ。赤本を見ながらその場で決めてくから。」バンマスの言葉に思わず絶句した。

ア・カ・ホ・ン???

赤本ってなんだぁ?しかもリハ無しだって、、。
いきなり荷物をまとめて帰りたくなる衝動をこらえ、隣りにいるベースのタメバラに聞いた。「赤本って、何ですか?」「おまえ、赤本も知らないの?あきれたなぁ、この業界の常識よ、赤本は。」「だから何?」「赤本は演歌や歌謡曲のスタンダードナンバーなんかが大方網羅されている楽譜集のことを言うの。表紙が赤いから赤本って言うんだよ。」「へぇ〜、そうなんだぁ。」

ちなみに青い表紙の「青本」というのもあったらしいが、ぼくは見たことはない。

後にぼくはこの赤本にさんざん苦しめられるハメになるとも知らずに、とにかくこの時はまだ呑気に構えていたのであった。

 
  • 熱海静観荘屋上にて。1976年6月頃。