2016/03/30

浜田省吾 #8 軽井沢

1980年の冬、浜田省吾さんのリハーサルが軽井沢の山荘で行われました。その頃のお話を。

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1979年の秋から始まったツアーを80年2月1日の横須賀文化会館で終えたぼく達は、次のツアーまでの短い間をそれぞれに過ごしていた。

ぼくはこの頃、浜田さんと並行して松原みきさんのバンドにも参加していたため、浜田さんのツアーのスケジュールを縫うようにみきさんのスケジュールが入っていた。

浜田さんのツアーは終わったのだが、ツアーが終わった後にも浜田さんのラジオの公録の仕事がちょこちょこ入っていて、横須賀の直後の2月3日にも日帰りで札幌での公録の仕事が入っていた。

この時ぼくは前日の夜遅くにニッポン放送でのみきさんの仕事を終えて、次の日の早朝の飛行機で札幌入りするために、空港近くのホテルに宿泊した。
横須賀のコンサートあたりから何となく風邪っぽかったのだが、札幌に行く日の朝から極端に調子が悪くなった。

飛行機の機内で猛烈な悪寒が襲って来た。千歳に着く頃には悪寒で歯がガチガチ鳴りだした。
札幌STVのスタジオに到着する頃には立っているのも辛くなってきて、しばらく楽屋で横になっていた。
この日はちょうど札幌雪まつりが行われていて、本番まで少し時間があるので雪まつりを観に行こうということになった。

ぼくは高熱が出て来たのを自覚していたので、辞退しようと思ったのだが、ラジオ局やイベンターの方の手前、そういうわけにもいかず這うようにしてみんなに付いて行った。

外に出ると結構吹雪いていて気温は氷点下。高熱の身には自殺行為に等しい。
ますます悪寒がひどくなって来たので、ぼくは口実をつけて先に戻らせてもらった。みんなには体調が悪いことは伏せていた。

この時の雪まつりの会場で、みんなで撮った写真が手元に残っているのだが、にこやかに微笑んでいる浜田さんと町支さんの横で、真っ青な顔をしたゾンビのようなぼくが写っている(笑)。

その後はどうやって演奏して、どのように帰ったのかよく覚えていない。
朦朧とした意識の中、ようやく夜に羽田に着くと、そこから倒れ込むようにタクシーに乗って家まで帰った。
そのまま二日間寝込んで、すぐにまた広島に飛んだ。広島から戻る頃にようやく体調も回復して来た。

そしてそれから少し経った2月25日から29日までの五日間、浜田省吾さんの春のツアーのリハーサルも兼ねた合宿のため、ぼく達は軽井沢の山荘に向かった。

上野発10時46分のあさま7号に乗って軽井沢に着いた。
軽井沢駅から車に乗って走ること数十分、山奥のログハウスのような大きな山荘に到着した。

あたりは他にもたくさん別荘が立ち並ぶ、いわゆる別荘地帯。
夏には避暑地として賑わう場所なのだろうが、我々が行ったのは真冬の軽井沢。周りを見渡しても当然人っ子一人いない。しかもすごく寒い。

山荘の中に入ると一階に大きなリビングとキッチンの他に、何部屋か仕切られた部屋がある。二階は吹き抜けになっていて、廊下を囲むようにツインの部屋が何個かあった。
バンドのメンバーは二階の部屋で、浜田さんとスタッフは一階の部屋で寝泊まりすることになった。

山荘に着いたのはいいのだが、肝心の楽器を載せたトラックまだ到着していなかった。
楽器が着くまでぼく達はやることがなく、お腹もへって来たので、駅前で買い込んだパンやおやつを食べて楽器の到着を待った。写真はその時の様子。

この合宿に同行したのは浜田省吾&バンド以外に、マネージャーとプロデューサー、雑誌の取材で来ていたカメラウーマンの中村ねこさん。他にも何人かいたかもしれない。

がらんとした底冷えのする山荘で待つこと数時間、やっと楽器を積んだトラックが到着した。早速一階のリビング部分に楽器と簡単なPAをセットした。
初日は楽器のセッティングと簡単なサウンドチェックをした後、少しリハーサルをして終了。

リハーサルも勿論大事だが、人里離れた雪深い場所での合宿生活のため、食材の買い出しが結構大変だった(と思う)。
周りにはお店などあるはずもなく、車で下山して町まで行かないと、それこそ飲み物一本もタバコも買えない。
そのため、ぼく達がリハーサルをしている間、スタッフは食材の買い出しも大切な仕事となった。

リハに煮詰まると、外に出てキャッチボールをしたりして気分転換をして遊んだ。
しかし凍ってしまいそうな寒さのため、すぐに部屋に戻ってまたリハーサルを続けた。この合宿でのリハーサルは、まだ演奏したことのない曲のチェックや新曲の練習、バンドのアンサンブル等に重点を置いて行われた。

まわりに何も無い環境ゆえ、逆にリハーサルに集中することが出来、ぼく達は充実した五日間を過ごすことが出来た。

リハーサルが終わると夜はスタッフが作った料理をみんなで食べた。お酒も少し。
文字通りぼく達は同じ釜のメシを食う仲間だった。
合宿が終わる頃、浜田さんとバンドの連帯感はいっそう強まった。
軽井沢での合宿は実り多いものとなった。

そしてリハの最終日、ぼくとベースの岡島ブンちゃんは、佐野元春さんのレコーディングに参加するため、そのまま軽井沢から新宿のスタジオに向かった。

キーボード隊の楽器。ぼくの場所は奥で、ヤマハCP80&フェンダーローズ・スーツケースピアノを使用。

山荘のリビング。まだ楽器が到着していない。

山荘の外観。