2016/04/09

浜田省吾 #11 日本武道館

話は前後しますが、ぼくは今まで二回だけ日本武道館のステージに立った事があります。一回は1987年10月7日に行われた本田美奈子さんのDispa!と銘打たれたライブ、そしてもう一回は1982年1月12日に行われた浜田省吾さんのコンサート。
今回は浜田省吾初の日本武道館ライブのお話を。

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1981年頃の浜田省吾のツアーは、大体1000〜2000席程度の会館でのコンサートが多く、まだどこも満杯になるという状況ではなかった。場所によっては入りが半分程度の所もあった。

そんな状況下での武道館コンサートの決定。誰もが目を疑った。
東京での動員も新宿厚生年金会館で、二日間のコンサートをやって満席ではあったものの、まさか武道館でコンサートやるなどとは誰もが想像もしていなかった。
当時武道館公演をやるということは 、今よりも遥かにハードルが高かったし、実際ミュージシャンにとっての聖地だった。

それでもチケットが発売されると同時に即完売。しかもそのコンサートを録音してライブアルバムを発売するという話も決定して、これは大変な事になるぞ、と気持ちを引き締め直した。

81年のツアーが終わり短い正月休みを取った後、武道館へ向けてのリハーサルが始まった。場所は赤坂のBack Pageスタジオ。決して広いとは言えないスタジオで約一週間のリハーサルが始まった。
 81年の秋ツアーのメニューを元に何曲かの入れ替えや追加を行い、約二十数曲のセットリストが完成した。

そして1月12日当日。ぼく達は赤坂東急ホテルのティーラウンジに集合して、そこから車で武道館入りした。良く晴れた気持ちの良い日だった。

初めて足を踏み入れた武道館のステージは思ったよりも広くないな、ステージから見える客席もそんなに広くないじゃん!これならそう緊張することもなく出来そうだな、というのが最初の印象だった。

早速自分のポジションに付いてみる。ぼくの場所は客席から見て向かって左側。
舞台装置によってピアノが一段高い場所に置かれている。ピアノの前に座って客席を見渡すと、なかなか見晴らしが良くて気持ちが良い。

この日はヤマハのフルコンサートサイズの、一番長いグランドピアノがセットされていた。早速試し弾きをしてみる。結構弾きやすいピアノだったのでホッとした。

この頃の浜田さんのツアーでは、ぼくは生ピアノしか弾いていなかったので、他のメンバー達のように自分の楽器を使うわけではなく、毎回ごとにその会館に設置しているピアノを使わなくてはならなかった。海外の大物バンドのツアーともなると、グランドピアノを解体して、専用のハードケースに入れて持ち運ぶなんてこともやっていたようだが、そんなことをやっている日本のアーティストは勿論いなかった。

会館によってはとんでもなくコンディションの悪いピアノに当たることも珍しくない。
鍵盤の一部が欠けていたり、ペダルが壊れていたり、調律がガタガタだったり、聞いたことも無いメーカーのピアノが出てくることもあった。

ロックのコンサートと聞くだけで、会館側が良いピアノを保有しているにもかかわらず使わせてくれない、というようなことも多々あった。スタインウェイのピアノがあるのに、出して貰えないなどと言うことも何度もあった。

そんな訳で毎回今日はどんなピアノなんだろう?と、会館に着いて実際に弾いてみるまで不安だった。弾きにくいピアノに当たった日は、身体をそれにアジャストするまでがとても大変だった。どんなに気合いや気持ちを込めて弾いても、まったく鳴ってくれないピアノに当たった時などは本当に泣きたくなった。

幸いこの日用意してくれたピアノは音も良いし、弾きやすかったので本番も気持ちよく出来そうな気がした。

”転がし”と呼ばれる足下に置かれたモニタースピーカーも、いつもは片側一個なのだが、この日はぼくの足下の両側に一個づつ計二個置かれていて、PAチームからの気合いと気遣いが伝わってくるようで、嬉しかったのと同時に必ず期待に応える演奏をすると心に誓った。

間もなくリハーサルが始まった。
この日のバンドメンバーは、

The Fuse
ドラムス:鈴木俊二
ベース&コーラス:江澤宏明
ギター&コーラス:町支寛二
キーボード:一戸清
ピアノ&コーラス:板倉雅一

ホーンセクション
トランペット:新田一郎 兼崎”ドンペイ”順一
サックス:金城寛文
トロンボーン:早川隆章

ゲストミュージシャン
ギター:水谷公生

という大編成からなる布陣だった。

武道館は外タレのコンサートとかに行っても、音が結構廻って聴きづらいことが多くあまり良い印象が無かったので、リハーサルでどんな感じの音になるのか不安だった。

サウンドチェックのために全員で音を出してみると、案の定、音が壁のように見える客席から、山びこのように跳ね返って来てとてもやりにくい。低音もモコモコして籠って聴こえる。

それでもリハーサルを進めて行くうちに、モニターエンジニアの懸命の調整によって何とかやりやすい環境になってきた。
客席からの反響も低域の籠りも、お客さんが入れば解消されるだろうとのことだった。
 
リハーサルを終え楽屋に戻ると、この日のために用意されたであろうという、豪華なお弁当が用意されていた。
しかし誰も口をつけようとしない。ぼくも食べようとは思うのだが、極度の緊張のためかご飯が喉を通らない。無理して食べようとすると吐き気が襲ってくる。他のメンバーも同様で、一口食べただけでお弁当を食べることはあきらめた。
一人ドラムの鈴木俊二くんだけは、身体が持たないからと無理矢理食べていた(笑)。

そしていよいよ間もなく本番が近づき、スタッフに促されてぼく達は楽屋からエレベーターに乗ってステージに向かった。
ステージ裏手の黒幕で覆われた一角に、待機所のようなスペースが設けられていた。
そこで鏡を見て姿をチェックしたり、喉を潤したりして出番を待った。

大歓声の中、いざ本番になってステージに上がると、ほぼ全方位にお客さんが一杯。それまで経験したことのない圧迫感に襲われた。観客数はおそよ九千人程だろうか、ぼくの背中越しにまでお客さんがいる。
以前ぼくは箱根で行われた甲斐バンドの野外ライブで、二万人程の観客の前で演奏したことがあったので、九千人という観客数はそんなに多いとは思わなかったのだが、武道館の客席の雰囲気は独特だった。

観客としての武道館は何度も体験しているが、自分がステージに上がるのはこの時が初めて。すり鉢上の客席はステージから見ると、まるでそびえ立つ高い壁のように見えた。

一曲目の「壁に向かって」が始まると、自分の手の感覚が無いことに気がついた。
あまりの緊張と興奮で手の感覚が無くなってしまったらしい。これはマズい!と思ったのだが、自分で何を弾いているのか感覚が無いためさっぱり分からない。二曲目の「明日なき世代」になっても手の感覚は戻ってこない。
それでもようやく三曲目ぐらいから感覚が戻ってきてホッとした。
コンサートが終わってから他のメンバーにそのことを告げると、「オレもオレも!」と何人ものメンバーが同じことを言っていたので妙に納得した。
ギターの町支さんは、最初の何曲かは足が宙に30cmぐらい浮いてる感覚だったと言っていた。

落ち着いてプレイ出来るようになってからは、会場の雰囲気を楽しむ余裕も出て来た。そして気がついたら、あっという間に終わっていたというのが正直な感想である。
途中メンバー紹介の時に、浜田さんから前に出てくるように促されて、ステージの中央まで行って手を振った。すると客席から大歓声が返って来た。とても嬉しかった。

ハプニングはアンコールで起きた。
『ミッドナイト・ブルートレイン』が始まり、歌詞の「ギター抱えて夜汽車に揺られ〜」の直前で、浜田さんのテレキャスターカスタムのギターストラップが外れて地面に落ちてしまった。
 すぐに浜田さんは落ちたギターをすくいあげ、ギターを抱えて歌った。
まるで演出かと思うようなタイミングでのハプニングだった。
ライブアルバムにもその音ははっきりと収録されている。
確認のために改めて音源を聞き直してみたら、かなりの音量で「ドン!」という音が入っていた。

コンサートの本編で激しく弾きまくったグランドピアノの調律は、アンコールの『ミッドナイト・ブルートレイン』の頃にはもうヨレヨレのヘロヘロになっていた。
でもそれがまた何とも言えない哀愁と、歌にリアリティを添えているような気がして 、改めて三十数年前のあの日に想いを馳せて胸が熱くなった。

 『ミッドナイト・ブルートレイン』が終わってすべてのショーは終演した。ぼくの手書きの曲順表には『ミッドナイト・ブルートレイン』の前に『ラストダンス』が書かれているが、時間の都合で急遽カットとなった。

全員がステージからいなくなると、客出しのBGMで「防波堤の上」が流れ出し、終演を告げるアナウンスが何度も繰り返し流れた。
しかしお客さんのアンコールを求める手拍子は一向に鳴り止まない。
そこで終演時間はオーバーしてしまうけれど、一度はカットとなった『ラストダンス』をやろうということになった。ぼく達バンドも『ラストダンス』が復活してとても嬉しかった。

武道館のテイクの『ラストダンス』は、サビの部分の「もう一度踊っておくれ〜」の部分を浜田さんとぼくの二人で歌っている。
浜田さんの主メロに僕が下のパートでハモを付けているのだが、これは非常に珍しい。
普段だとこのような場合は、必ずと言っていいほど町支さんがハモるのだが、ラストダンスだけは何故かぼくがハモを付けた。

後からライブ録音された音を聞いてみたら、どの曲もかなりテンポが速い。やはりみんな興奮していたのだろう。後日「On The Road」と題されて発売されたライブアルバムには、結局武道館でのテイクは半分程度しか採用されず、残りの半分は1981年12月末に行われた広島郵便貯金会館でのテイクが採用された。

コンサート終了後、原宿の『クロコダイル』で打ち上げが行われた。
PAや照明、トランポチームは、バラしがあるために残念ながら打ち上げに参加出来なかったが、それ以外のスタッフは参加して終始和やかなムードでの打ち上げだった。
ようやく重圧から解放された安堵感から、バンドのメンバーはみんな饒舌だった。
ただ不思議なことにコンサートが終わっても、全く空腹は感じていなかった。

打ち上げが終わって深夜に家に帰ると、緊張が解けてきたのかようやくお腹がすいて来た。
この頃ぼくは、後に浜田省吾のモニターエンジニアを担当することになるヒビノ音響のMくんと、2LDKのマンションをルームシェアしていた。
この日の武道館コンサートを観に来ていたMくんは、ぼくが帰るとすでに帰宅していた。

打ち上げでも一切食べ物を口にしなかったせいか、空腹に耐えられなくなったぼくは着替えもせずにキッチンに行って、お正月の残りのお餅を網に乗せて焼いて食べた。

その様子を横で見ていたMくんが呆れたような口調で一言言った。「あのさぁ、ついさっきまで武道館のステージで大歓声を浴びていた奴がなんで網で餅焼いてるわけ?なんかギャップが凄いんだけど。」「そうかなぁ〜?そんなことないと思うけど。」と、ぼくは口にくわえた餅を手でビロ〜ンと伸ばしながらいった。

Mくんはまたまた呆れた様子で無言でかぶりを振った。

1982年1月12日。まだ門松がある。
リハーサル前
サイン色紙にぼくが殴り書きした曲順表(実際は21と22はテレコになった)足元に置いて見ていた。
本番10分前。今見るとスゴい格好してる。
帰宅後、餅を焼く証拠写真(笑)髪型にまだ武道館の名残が。Mくん撮影。