2016/04/28

甲斐バンド #4

ぼくが甲斐バンドのサポートで参加したツアーは1978年〜1979年の約一年ちょっとでした。
その他にもスポットで参加したコンサートや、レコーディング作品等まとめてみました。

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1978年の春のツアーから甲斐バンドのサポートメンバーとして参加したぼくは、初めての大規模な全国ツアーに驚きと戸惑いを隠せないまま毎日を過ごしていた。

それまでの生活と全く違う、全国を駆け回るツアーの日々。しかも各地で熱狂的なステージを繰り広げる甲斐バンド。最初の頃、なんだかぼくは夢の中にいるようだった。
それでも春のツアーが終わる頃にはそんな暮らしにも慣れて来て、コンサートを楽しむ余裕も出て来た。

1978年7月23日に日比谷野外音楽堂で、甲斐バンドのコンサートが行われた。
とても暑い夏の日だった。この日の楽屋は野音のステージ袖にある楽屋とは別に、暑さを考慮して新橋のホテルの部屋も用意されていた。

この日の前座(まだオープニングアクトという呼び名は無かった)は柳ジョージ&レイニーウッドと、6月にデビューしたばかりのサザンオールスターズだった。

オープニングナンバーは甲斐さんのソロアルバムに収録されている、キングトーンズのカバーで「グッドナイト・ベイビー」だった。
甲斐さんが着ていた真っ赤なスーツがとても格好良かった。 
ぼくはこの時のコンサートでキーボード以外に、何故か何曲かコンガを叩いた記憶がある。

コンサート終了後の打ち上げは、銀座のビアレストラン「ライオン」で行われた。

アルバム「誘惑」のレコーディングを挟みながら、78年秋のツアーが始まった。
秋のツアーからはキーボーディストが一人増えて、ツインキーボードでの編成になった。
そのもう一人のキーボーディストは、なんと当時ぼくと共同生活をしていた西本明くんに決まった。

秋のツアーが始まるとすぐに新たな悩みが出来た。
明くんと家でも一緒、旅に出ても一緒、ツアーから帰って来ても一緒の日々。
しかも旅先での部屋は明くんとツインルーム。一人の時間が全く無い。これには正直参った。
明くんとツインキーボードでのツアーは1ツアーか2ツアーだったか、このあたりの記憶は曖昧なのだが、とにかく段々とぼくは一人暮らしに憧れるようになっていた。

ぼくが浜田さんのバンドに参加するようになってからも、しばらく明くんとの共同生活は続いていたが、お互い多忙になりあまり家でも一緒に居ることは少なくなっていった。

そしてある日、ぼくは明くんに引っ越すことを告げた。それも引っ越す前の日に突然(笑)。

甲斐バンド79年の春のツアーは「HERO〜ヒーローになる時、それは今」の大ヒットを引っ提げてのツアーでどこも大盛況だった。
そして一回だけテレビにも出演した。

1979年3月15日、TBSの人気音楽番組『ザ・ベストテン』に出演。この時はNHK-FMで甲斐よしひろが担当していた音楽番組『サウンド・ストリート』の公開録音の場に、TBSのカメラが入ってのテレビとラジオの二元中継だった。
場所は東芝EMIのレコーディングスタジオ。レコーディングスタジオ内にファンの方を入れての収録だった。たくさんのファンが甲斐さんの周りを囲んだ。ぼくもピアノで参加した。ちょっとだけテレビに写った。

1979年の春のツアーが終了して、ぼくは甲斐バンドのサポートを離れ、浜田省吾さんのバンドに加入した。
ぼくは浜田さんのバンドに入ってからも、二回ほど甲斐バンドのコンサートにも参加した。

その二回とは1979年9月2日NHKホールで行われたコンサートと、1980年8月10日箱根芦ノ湖畔ピクニックガーデンで行われた『100万$ナイト in HAKONE』。

NHKホールでのコンサートは、NHKテレビ「ヤングミュージックショー」でも放映されて当時大きな話題となった。
ちなみにこの時のベーシストは、後に浜田省吾&The Fuseのメンバーとなる江澤宏明。
サポートギタリストは盟友佐藤英二。

『100万$ナイト in HAKONE』では、コンサート終盤に芦ノ湖の対岸から、照明をステージのミラーボールに当てる演出が圧巻だった。

箱根ではステージが山の斜面に設置されていたため、ステージはちゃんと水平をとって作られていたのだが、楽屋はステージ裏の斜面にプレハブの小屋を置いただけのものだった。
そのため楽屋にいると椅子もテーブルも斜めで、乗り物酔いしたような感じになって、本番前に気持ちが悪くなってしまって困った。

このころのぼくのスケジュールはもう無茶苦茶で、浜田さんのツアーをやりながら松原みきさんのバンドにも参加していて、浜田さんのスケジュールを縫うようにみきさんの仕事が入っていた。それ以外にも甲斐バンドのイベントやレコーディング、伊藤銀次バンドでの活動、友人のライブ&レコーディングの手伝い等、ほとんど休みは無かった。

ある時など浜田さんの東北でのコンサートを終えると、そのまますぐに寝台車に乗り、早朝に上野駅に着いて、駅近くのサウナで速攻で入浴をし、そのまま松原みきさんのコンサートのため羽田空港から福岡へ日帰りして、次の日またすぐに浜田さんの公演地に戻って合流する、みたいなこともあった。
よく身体が持ったものだと、今でも思い出しては我ながら関心する。


ぼくが甲斐バンドのレコーディングに参加した作品は以下の通り。

・シングル「LADY/w悲しき愛奴(サーファー)」1978年8月2日発売

・アルバム「誘惑」1978年10月5日発売

・シングル「HERO(ヒーローになる時、それは今)/wからくり」1978年12月20日発売
※レコーディングは78年10月20,21,22日の三日間、東芝EMIスタジオで行われた。
ぼくはアコースティックピアノとグロッケンを演奏、コーラスも担当している。間奏のいかしたサックスソロはジェイク・H・コンセプション。

・アルバム「甲斐バンドストーリー」1979年3月5日発売

・シングル「感触(タッチ)/w汽笛の響き」1979年5月5日発売

・アルバム「マイ・ジェネレーション」1979年10月5日発売

・ライブアルバム「100万$ナイト」1980年3月5日発売
 ※1979年3月31日新宿厚生年金会館でのライブを収録した付属のメモリアルシングル「最後の夜汽車」に参加。

・ライブアルバム「流民の歌」1981年6月5日発売
※箱根ピクニックガーデンでのライブ収録に参加。

・アルバム「破れたハートを売り物に」1981年11月1日発売
※「ダイナマイトが150屯」に参加。

甲斐バンド 1978年神戸国際会館にて。