2016/04/15

熱海 #4

熱海part.4。
時代は昭和51年(1976年)の初夏の頃です。

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熱海の旅館で暮らすようになって、最高に良かったのは何といっても温泉である。
静観荘にはいくつかの湯があったのだが、ぼく達は宿泊客が利用するためのすべての浴場に、24時間いつでも好きな時に入り放題だった。
すかさず若造の湯治客と化したぼくは、毎日いろいろな種類の風呂に入った。
おかげで熱海にいる間にお肌はツルツルになるわ、体調は良くなるわで、温泉の効果を身をもって体験させてもらった。

肝心のバンド演奏のほうは何日かやってゆく内に、だんだんとコツのようなものもわかってきて、最初の頃よりはだいぶ楽になってきた。メインステージで行われているショーを見る余裕も多少だが出てきた。

ある日、隣の部屋で寝泊まりしている、ダイナブラザーズのステージを見る機会があった。
ダイナという名前は聞いたことがあったが、どんなことをするグループなのかはよく知らなかった。ステージが始まるとダイナの連中がギターを手に現れた。良く聞くと何だかテーマソングような曲を歌っている。その歌はどこかで聞き覚えのある曲だった。「♪地球の上に朝が来る〜ぅ、その裏側は夜だろう〜♪」とかいう歌で、以前TVで見たことがあるような気がした。
どうも彼らの芸風というのは、楽器を使った音楽のショーで、”ボーイズ”と呼ばれるジャンルのモノだということがわかってきた。

やがてダイナのステージが終わると、ダンサーのフェニックス軍団のお姉さま方と時代劇の方々も加わり、全員が横一列に並んで、手に鈴のようなものを持ってのグランドフィナーレとなる。

そこで最後に毎晩唄われる歌というのがあって「♪静観荘へならドンとこいぃ〜。でかいレジャーのホニャララがぁ〜、ナントカカントカ花がぁ〜咲くぅ〜♪」というような歌詞の、静観荘のテーマソングとでも言うような歌だったと思うのだが、最後の「花が咲くぅ〜♪」というフレーズと節回しが妙に耳に残って、その歌の最後のフレーズを聞くと「あぁ、今日も終わったぁ〜。」という、ぼくにとっての一日の終わりの合図のような歌となった。

バンドのレパートリーは徐々に増えていったのだが、毎回必ずと言っていいほど演奏する曲があった。
ぼく達のバンドはボーカルレスのバンドで、たまにバンマスが歌ったり、ぼく達がコーラスを付けたりすることもあるのだが、基本はインストゥルメンタル中心のバンドであった。
そしてそこで活躍するのが、なんといってもバンマスのギターだった。

バンマスのカネミツさんはカルロス・サンタナが大好きで、毎ステージに一曲はサンタナのナンバーを取り入れていた。そして必ず演奏するのが「哀愁のヨーロッパ」というギターがむせび泣く曲であった。
この曲になると必ずバンマスは恍惚の表情になり、まるでカルロス・サンタナが乗り移ったかのようにギターを弾くのである。
そしてカルロス・カネミツのギターがむせび泣き出すのと同時に、丹前&浴衣姿の酔客達は「哀愁のヨーロッパ」に合わせて、一斉にチークダンスを踊りだすのであった。

最初の内はサンタナの曲を演奏するのがあまり好きではなかったぼくだったが、毎ステージ演奏しているうちに不思議とサンタナが好きになってきた。

東京に帰った際には、
「♪オエコモバ、ゲニ〜モ、ウェゴパゴサ、ムラ〜タ♪」
などと、サンタナの曲を呪文のように口ずさみながら、思わずレコードを買うほどになっていた。

サンタナの曲で「ブラック・マジック・ウーマン」という有名なナンバーがある。この曲はオルガンのイントロから始まって、ギターにつないだ後にオルガンソロのある、まさにぼくの見せ場でもある曲なのだが、これがなかなかうまく弾けなくて参った。
イントロの部分はまだいいのだが、ソロの部分になるといつも収拾が付かなくなってしまうのである。悔しさのあまりまだ誰も来ていないステージで、一人練習にあけくれる日々を送ったりもした。

温泉宿のハコバンゆえ、演奏曲のジャンルは幅広い。演歌からフュージョンまでそれこそなんでもアリの世界である。ソウルナンバーやディスコミュージックもよく演奏した。
ショーを見に来ているお客さんの大半は年輩の方々である。
そんなお客さん相手にソウルもへったくれもありゃしないのだが、それは温泉宿のアバウトさ。なにせフェニックスのお姉さま方と、時代劇とダイナのミクスチャーである。ノリがよければOKだった。

ぼく達は自分達のステージを終えるとほぼ毎日のように、静観荘を出てすぐの坂を下る途中にある小さなスナックに行った。
ぼくはそこで500円のヤングセットという、ピラフとサラダとスープがセットになったメニューを食べるのが好きだった。
そしてお店にあったジュークボックスにコインを入れて、よくユーミンの「翳りゆく部屋」を聴いた。

スナックを出た後は、当時はまだ珍しかった深夜まで営業しているスーパーマーケットのヤオハン(静岡を中心に展開していたスーパー)に寄って、トマトジュースの1リットル瓶を買い、それを飲みながら旅館に戻るのが習慣になった。

ぼく達のバンドのディスコ、ソウル系のレパートリーは、ちょうどその頃流行っていたヴァン・マッコイの「ハッスル」とか、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」とか、他にあと数曲ぐらいしかなかった。そこでディスコ、ソウル系のレパートリーももっと増やそうと、ベースのタメバラことマツバラが言った。

このタメバラなるオトコ、とにかく威勢がいい。そして何とも独特の髪型をしていた。パンチパーマを当てた髪をリーゼントにしていたのだが、ちょっと長めの、パンチパーマというよりはアフロヘアに近いような髪を無理矢理リーゼントにしていたものだから、妙に頭だけが肥大化してまるでティラノサウルスの頭部のような形状になっていた。特に寝起きの時は更に頭が巨大化してバクハツしていた。
ぼくとSくんはその髪型が可笑しくて仕方がなくて、蔭でタメバラのことをティラノサウルスをもじって「タイラノ」と呼んでいた。

最初のうちはそのコワモテのルックスも手伝って、ぼくはタイラノのことをちょっと敬遠していたのだが、話せばとても気のいいオトコだった。ドラムのSくんの次に年が近いこともあって(タイラノはぼくの一才年上)、ぼくはタイラノとだんだん親しくなっていった。

ぼく達は昼間の空いている時間を利用して、 ディスコ、ソウル系のレパートリーを増やすべく練習したり、カセットテープを聴いたりして勉強会のようなこともした。

バンマスのカネミツさん、ベースのタイラノ、ドラムのSくん、そしてぼくの四人からなる、音楽性も人間性も全く異なるバンドの温泉宿顛末記はまだまだ続く。

仕事がオフの日にバンマスと伊東まで遊びに行った。