2016/04/03

腱鞘炎

ツアー中の怪我や病気の話はたくさんあるのですが、今回は1981年頃に起こった出来事です。何か話がこのあたりの時代からなかなか前進して行きませんが、もう少々80年代前半のお話にお付き合いを(笑)。

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1981年〜83年頃の浜田省吾のコンサートツアーの本数は、年間100〜140本ぐらい行われていた。ぼくはその他にも浜田さん以外の仕事も掛け持ちしていたりしたので、ほぼ一年中ライブやレコーディングでピアノやキーボードを弾いていた。

当時の浜田省吾のコンサートツアーは、三日連続、四日連続は当たり前、時には五日連続なんてこともあった。この頃ぼくはコンサートでグランドピアノをメインに弾いていたので、かなり指や腕に負担がかかっていたのだろう、ある日右手の手首から指にかけて鈍痛がするようになり、次第に痛みがひどくなって来た。

それでも何とかだましだましコンサートを続けて来たのだが、とうとうぼくの手首と指は悲鳴を上げた。大音量のエレキギターやドラムの音に負けまいと、力任せにピアノを弾いていたため、腕に過度の負担がかかっていたのだろう。

次第に箸を持つのも痛くなるようになってしまったため、ツアーから帰京した際に知人に紹介してもらった病院に駆け込んだ。
新宿にあるその病院は整形外科の権威のドクターがいるということらしく、ぼくはそのドクターに診察してもらうことが出来た。

診断の結果は重度の腱鞘炎とのことだった。しばらくの間、手首や指に負荷のかかる動作は厳禁、とにかく腕を休めること、とのことだった。
と言われてもツアーを休むわけにもいかず、ドクターに事情を説明すると、ではピアノを弾くとき以外はなるべく左手でいろんなことをして下さい、と言われた。
幸いぼくは左利きなので、日常生活にそれほど支障が出る心配はあまりなかった。

ドクターに右腕の肘から手首と指までを、ギプスと包帯でグルグル巻きにされた。
その姿を見てぼくは「あぁ、オレはもしかしたらこのまま浜田さんのツアーも離脱することになって、クビになるかもなぁ。もうピアノも弾けなくなるかもしれないし、そうなったら別の仕事探さないといけなくなるかもなぁ。」などと、頭の中はネガティブな思考でいっぱいになった。

実はこの時左肘も痛めていて、ついでに診察してもらったら、右腕ほどひどくはないけれどやはり炎症をおこしているとのことだった。
とにかくツアー中はなるべく腕に負担はかけないこと、東京に戻ったら定期的に受診しに来ることを告げられた。
それからは旅から戻ると新宿の病院に通う日々が半年ぐらい続いた。
おかげで今でもぼくは新宿と聞くと、病院⇨腱鞘炎⇨クビ⇨転職、が頭の中で反芻する(笑)。

実際、ピアノを弾いてもかなりの痛みがあったので、本番以外は極力本気で弾かないように努めた。
しかし、リハーサルの時に力を抜いて弾くと、表の出音のバランスや音色、ステージ上のモニターのバランスも変わってしまうため、浜田さんやバンドのメンバー、PAスタッフに申し訳ないとは思いつつも事情を話して、数曲だけ本気モードで弾いてあとはかなりセーブして弾いていた。
手首や指に痛みがあるとロックナンバーは勿論のこと、バラードのようなピアノがメインの繊細な曲を弾く時にも、指がうまくコントロール出来ずに苦労した。

移動中も極力右手で重いモノは持たないようにした。
コンサートも本番はガァ〜っと弾いて、終わったらすぐに手首と指のケアを心がける日々が続いた。
おかげでぼくの旅のバッグの中は、包帯や包帯止めやハサミや絆創膏、サポーターや湿布薬や内服薬だらけで、まるで怪我人を手当するドクターのようだった。

それでも治療の甲斐あってか、徐々に腱鞘炎の具合も良くなって来て、81年の暮れ頃には痛みも気にならなくなるレベルまで回復することが出来た。
結果、ぼくは浜田さんのバンドをクビにならずに済んだし、職を失うことにもならずに済んだ。

それ以来、手首や指に負担のかからない弾き方や、力の入れ方等を試行錯誤しながら工夫して弾くように心がけた。
そして身体のケアと言うことを、真剣に考えるきっかけにもなった出来事だった。

あれから何十年もピアノを引き続けているけれど、幸いなことに不思議とその後は一回も再発したことはない。

どこかの楽屋にて町支さんと。この頃は湿布と包帯が欠かせなかった。

左腕も負傷していた。徳島県阿波池田駅にて。