2016/05/23

浜田省吾 #20 DANCE

1984年8月1日に浜田省吾の12インチシングル「DANCE」が発売になりました。
今回はDANCEの話を。

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1984年の春、「ファースト・フィナーレツアー」が終了して間もなく、ぼくは浜田さんとROAD&SKYの事務所で新曲のプリプロ作業を行っていた。プリプロとはプリプロダクションの略称で、本番のレコーディング前にアレンジを煮詰めたり、デモテープを作ったりして本番のレコーディングに備える作業のことを言う。プリプロを行うことで本番のレコーディングの作業がスムーズにはかどり、時間と経費の節約にもなる。
「DANCE」と名付けられたその曲はタイトルの通りダンサブルな曲で、浜田さんの意向でダンスチューンにしようと言うことになった。

事務所で浜田さんとアレンジを考えたり打ち込み作業を行ったりして、帰りが明け方になることも珍しくなかった。
ぼくは疲れて空っぽの状態になりながらも、空が白んで来た国道246を車で走るのが結構好きだった。

84年2月のNHKホールでのファースト・フィナーレツアー最終日をもってThe Fuseが消滅して、バンドはぼくと古村くん町支さんの三人だけが残った。暫定のバンド名はHis New Band。
そしてそのメンバーを中心として、新曲のレコーディングも行うことになった。

ぼくと浜田さんはROAD&SKYの業務が終了した後の、誰もいなくなった事務所に夜な夜な集合してはプリプロに励んだ。
当時はまだ音楽制作には欠かせないツールであるMac(アップルコンピュータ)もそんなに普及していない時代で、プリプロの際の打ち込みは簡単なシーケンサーを使って行っていた。

ある日、浜田さんがDANCEのイントロのフレーズを思いついたと言って事務所にやって来た。
そしてそのフレーズをデジタルのビートが鳴るオケに乗せて、アコースティックピアノで弾いたらどうだろうか?と尋ねて来たので、「それはいいアイデアですね。」とぼくは答えた。
狙いは無機質なデジタルビートと、ヒューマンな楽器と演奏との融合だった。

最初に完成したDANCEのアレンジは、後にレコードになったアレンジとは少し違っていた。結局最初のバージョンはボツとなったのだが、84年4月に横浜スタジアムで行われた第二回目の「A Place In The Sun」で初演されたDANCEは、ほぼその最初のバージョンで披露された。

横浜スタジアムでの「A Palce In The Sun」が終了して、そこから更にアレンジを練り直して、いよいよDANCEのレコーディングは始まった。
レコーディングに使用したスタジオはソニーのスタジオと、東京タワーのすぐ側にあった日音スタジオ。ぼくの記憶に間違いが無ければ、このレコーディングのあたりからスタジオにマルチトラックのデジタルレコーダーが投入されて、本格的なデジタルレコーディングが開始された年だったと思う。
このDANCEもSONYのPCM-3324という、デジタルの24トラックレコーダーを使って録音された。
当時は最先端のデジタルレコーディングということで狂喜していたが、PCM-3324というレコーダーはスペック的にはまだまだの代物であった。

DANCEのレコーディングは打ち込みのドラムとベースを主体のオケに生楽器を重ねていった。
間奏の部分は古村くんがカッコ良いホーンアレンジを考えてくれた。
レコーディングメンバーは以下の通り。

His New Band
ギター:町支寛二
キーボード:板倉雅一
サックス:古村敏比古

Additional Musician
ドラムス:富岡"Grico"義広
ベース:江澤宏明
キーボード:佐藤準
パーカッション:ペッカー

何故か元The Fuseの江澤くんはAdditional Musician扱いだった。

レコーディングではコンピュータとシンセサイザーやドラムマシーン等、最新のテクノロジーが駆使された。今の耳で聴くとさすがに古さを感じるし音もチープなのだが、当時としてはとても贅沢な機材を投入してのレコーディングだった。

そして出来上がった作品はアナログ盤12インチシングルとして発売された。
B面には「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」と題された、ライブテイクが収録された。
「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」は、浜田さんとThe Fuseが共同でスタジオで練り上げたメドレー作品で、当時の浜田さんとバンドの勢いがそのまま真空パックされているような作品である。

しかしながらこれは一体どこの会場で収録されたのだろう?残念ながらぼくははっきりとは覚えていない。 Wikipediaには83年渋谷公会堂での収録と記されているが、違うような気もする。何故ならレコードに収録された「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」にはホーンセクションが参加しているから。
83年の渋公にはホーンは参加していなかったような気もするのだが、どうなんだろう?そうなると横浜スタジアムでのバージョンだろうか?これに関してはあまり自信は無い。

浜田さん本人も語っていたが、このメドレーはコンサートのアンコールで歌われていたもので、本編が終わってかなり消耗しているところに、更にそこから十数分にわたるロック絵巻が繰り広げられるのは、バンドとしても演奏していてかなりキツかった。メドレーの最後のほうはみんな手がツリそうになりながら演奏していた。

DANCEは12インチシングルバージョンとは別に、アルバム「Down By The Mainstreet」に収録されたバージョン、横浜スタジアムでの「A Palce In The Sun」で初演されたバージョン、88年のFather's Sonツアーで披露されたバージョン等、多くのアレンジ違いのバージョンが存在する。

ぼくは今でもこの曲を聴くと、誰もいない深夜の事務所での浜田さんとのプリプロの光景が浮かんでくる。

DANCEの12インチシングル。