2016/05/15

尾崎豊

1983年12月1日に尾崎豊のデビューアルバム『17歳の地図』がリリースされました。
ぼくも少しだけレコーディングに参加しました。
その時の話です。

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1983年9月7日、ぼくは信濃町ソニーの第3スタジオにいた。
尾崎豊という17歳の新人アーティストのレコーディングだった。
ぼくは何の予備知識も無いままスタジオ入りしたので、尾崎豊という人物のことも、この日レコーディングする曲のことも知らなかった。

ぼくが参加した曲のアレンジャーはThe Fuseの町支寛二。ぼくはダビングでの参加だった。
ダビングとは、すでにレコーディングされているベーシックなオケに、楽器等を加える作業のことを指す。
本当はぼくもリズム録りの段階からピアノで参加する予定だったのだが、どうしてもスケジュールが合わず、ぼくの代わりに西本明くんがピアノを弾いた。

この日は「15の夜」という曲に、ハモンド・B3オルガンとグロッケンをダビングした。
そしてスタジオで初めて尾崎豊に会った。
プロデューサーの須藤晃さんから紹介された尾崎豊は、まだちょっとあどけなさの残るとても礼儀正しい青年だった。
彼はこの日スタジオに友達を連れて来ていた。レコーディングの作業の様子を一生懸命友達に説明している姿が微笑ましかった。

ぼくはリズム録りが終了した後のダビングでスタジオに行ったので、この日スタジオにいたのは尾崎くんとアレンジャーの町支さん、プロデューサーの須藤さん、そしてエンジニアの助川健さんの数名だけだった。
「15の夜」のレコーディングメンバーは以下の通り。

ドラムス:菊池丈夫
ベース:美久月千晴
ギター:町支寛二、佐藤英二
アコースティックピアノ:西本明
ハモンド・オルガン、グロッケン:板倉雅一
テナー・サックス:古村敏比古
パーカッション:川瀬正人

ほぼ浜田省吾バンドと佐野元春バンドの混成メンバーだった。
後にドラムの菊池丈夫さんは、浜田省吾の横浜スタジアムで行われたA Placa In The Sunにも参加するが、残念ながら2004年12月20日に永眠した。人としてもドラマーとしても素晴らしい人物だった。

ぼくはまだ仮歌の段階のボーカルが入った「15の夜」を聴きながら演奏したのだが、ヘッドホンから聴こえてくるとても魅力的な声と歌の上手さに魅了されていた。

他にもぼくは「僕が僕であるために」でもハモンド・B3オルガンを演奏した。
間奏のオルガンソロの部分では、ハモンドを鳴らすレスリー・スピーカーにちょっと工夫を施して、独特のサウンドを得る事に成功した。

「僕が僕であるために」は素敵な曲だった。一回聴いただけですぐに歌詞も曲も心に響いて来た。

そして1985年にリリースされたセカンドアルバム「回帰線」の中の二曲にも参加した。
「Scrap Alley」と「存在」の二曲でアコースティックピアノを弾いた。
「Scrap Alley」と「存在」のレコーディングメンバーは以下の通り。

ドラムス:滝本季延
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二
アコースティックピアノ:板倉雅一
シンセサイザー:福田裕彦、水谷公生
サックス:古村敏比古
パーカッション:石井空太郎
コーラス:ロブバード

この時のメンバーは、ほとんど浜田省吾人脈で固められていた。

1984年8月4日、日比谷野外音楽堂で反核のイベント「アトミック・カフェ」が開催された。この日は十数組の出演者が予定されていた。ぼくは浜田省吾&His New Bandでの出演だった。出演者の中には尾崎豊も含まれていた。

そして尾崎豊のステージで衝撃的なことが起きた。
後に伝説として語り継がれる、高さ7mの照明のイントレからのダイブ事件である。
この日、尾崎豊は自分の曲「Scrambling Rock'n'Roll」の間奏の部分で照明のイントレによじ上り、そこからコンクリートで出来たステージに飛び降りた。左足を骨折する重傷だった。

ぼく達浜田省吾&His New Bandは野音入りしたのが夜だったため、すでに尾崎豊の出番は終わっていたが、楽屋入りすると関係者も出演者も、みんな口々に尾崎の話で持ち切りだった。
騒然とした雰囲気の中で浜田省吾はイベントのトリを努めた。

この日の主な主演者は以下の通り。

・THE ROOSTERS
・尾崎豊
・加藤登紀子&センチメンタル・シティ・ロマンス
・タケカワ・ユキヒデ・グループ
・浜田省吾 他

浜田省吾のセットリストは以下の通り。

1. HELLO ROCK&ROLL CITY
2. SILENCE
3. DANCE
4. 愛の世代の前に

バンドメンバーが一新して初のステージだった。
メンバーは
ドラムス:野口明彦
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二、法田勇虫
キーボード:板倉雅一、岩崎肇
サックス:古村敏比古

ぼくは尾崎くんとはレコーディングミュージシャンとしての関係だけだったが、1990年に彼が浜田省吾の所属事務所「Road &Sky」に移籍した際に、ぼくの家に電話をかけて来てくれたことがあった。
その頃、ぼくはすでに浜田さんのバンドを離れていたにも関わらず、尾崎くんはわざわざぼくの所にも連絡をくれるような律儀な男だった。

電話をくれた尾崎くんは、ぼくに進物を送りたいので住所を教えて欲しいと言った。
ぼくはその必要は無いと固辞したのだが、彼はどうしてもと言って聞かなかった。
せっかくなので、ぼくは彼の厚意に甘えることにした。

尾崎くんはぼくに何が欲しいですか?と聞いた。ぼくは何でも構わないから、どうか気を使わないで欲しいと伝えた。
しかし彼は何が欲しいか教えて欲しいと何度も言った。
では「ビールが飲みたいのでビールをお願いします」とぼくが言うと、尾崎くんはとても嬉しそうに「分かりました!!」と言った。

後日、尾崎くんから進物が送られて来た。
早速開封してみると中から出て来たのはビールではなく、何故かコーヒーゼリーの詰め合わせだった。
何だか尾崎くんらしいなと思い、ぼくはコーヒーゼリーの詰め合わせを見ながら一人微笑んでいた。

「1stアルバム17歳の地図と、2ndアルバム回帰線」