2016/06/04

浜田省吾 #22 A Place In The Sun at 横浜スタジアム

1984年4月29日、浜田省吾第二回目のA Place In The Sunが開催されました。
今回はその時の話です。

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1984年2月19日、NHKホールで終了したファースト・フィナーレツアーをもって第二期The Fuseは消滅した。
そして残ったメンバーは町支寛二、古村敏比古、板倉雅一の三人だった。

このメンバーを中心とした新たな編成のバンドで、4月に横浜スタジアムで開催されるA Place In The Sunに臨むことになった。
The Fuse消滅の寂しさに浸っている間もなく、横浜スタジアムでのバンドメンバーの人選が始まった。
自薦、他薦等で集まったメンバーは以下の通り。

ドラムス:菊地丈夫
ドラムス:富岡"Grico"義広
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二
ギター:法田勇虫
キーボード:板倉雅一
キーボード:友成好弘
サックス:古村敏比古

トランペット:兼崎順一、小林正弘
サックス:沢井原兒、包国充
トロンボーン:池谷明宏

コーラス:石川寛爾(かんじ)
ゲストキーボード:佐藤準

ツインドラム、ツインギター、ツインキーボード(曲によってはトリプルキーボード)
という強力な布陣だった。
それとオフィシャルのクレジットには載っていないが、コーラスでPAスタッフの石川寛爾が参加していた。
石川寛爾は後に作曲家/シンガー・ソングライターに転身し、数々のヒット曲を手がけることになる。

84年の春、渋谷区初台のレオミュージック・スタジオでリハーサルが始まった。
大所帯のバンドのため、広いスタジオの中はメンバーと楽器が入るととても狭く感じられた。

ほぼメンバーを一新してのリハーサルだったため、最初の頃はとても大変だった。
特にツインドラムの呼吸がなかなか合わずに、ベースの江澤くんはどちらのビートに合わせていいか頭を悩ませていた。
そのためドラムスチームは、みんなが帰った後も居残りで呼吸が合うまで練習したりしていた。

 菊地丈夫さんは浜田さんの数々のアルバムでも叩いている名ドラマー。
スタジオミュージシャンとしても、数えきれないくらいたくさんの作品に参加している。

もう一人のドラマーの富岡さんは、伝説のロックバンド「TENSAW」のドラマーだった方。通称「グリコ」と呼ばれていた。

キーボード隊もぼくと友成くんのコンビに変わったため、アンサンブルのチェックやシンセの音作り等に膨大な時間がかかった。
そのため全体でのリハーサルが休みの日に、友成くんにぼくの家に来てもらってシンセの音作りをしたり、アンサンブルの確認をしたりもした。

友成くんは角松敏生バンドのキーボード・プレイヤーで、ぼくとはほぼ同世代。聴いていた音楽も共通するものが多かったので、すぐに打ち解けることが出来た。

ギターチームもツインギターのアンサンブルやソロの割り振り等、綿密な打ち合わせが行われた。

ギターの法田さんは、以前来生たかおさんのバンドでもプレイしていたそうで、ぼくも来生さんと一緒にやっていたことがあったので、法田さんとそんな話で盛り上がったりした。

そして何曲かゲストでキーボードの佐藤準さんが加わった。
準さんは浜田省吾のバラードアルバム「Sand Castle」のアレンジャーで、超一流のキーボードプレイヤーでもある。そしてライブでもSand Castleからのナンバーに参加してもらうことになった。佐藤準さんは主にシンセサイザーでの参加だった。
準さんが加わってのトリプルキーボードのアンサンブルは本当に強力だった。

セットリストは以下の通り。

1.壁にむかって
2.明日なき世代
3.モダンガール
4.DJお願い~バックシート・ラブ
5.さよならスウィート・ホーム
6.ラストショー
7.風を感じて
8.あの頃の僕
9.愛のかけひき
10.いつかもうすぐ
11.愛しい人へ
12.家路~終りなき疾走
13.独立記念日
14.路地裏の少年
15.陽のあたる場所
16.片想い
17.いつわりの日々
18.愛という名のもとに
19.マイホームタウン
20.土曜の夜と日曜の朝
21.反抗期
22.東京
23.愛の世代の前に
24.OCEAN BEAUTY~僕と彼女と週末に

・アンコール
25.DANCE
26.Little Rocker's Medley〜今夜はごきげん~ HIGH SCHOOL ROCK & ROLL~あばずれセブンティーン
27.ON THE ROAD
28.凱旋門

全28曲、約三時間半のコンサートだった。

ステージのセットは二階建ての作りで、一階にバンドメンバー、二階部分にホーンセクションとコーラスが配置していた。
ぼくの場所はステージの奥まった部分で、ちょうど自分の頭の部分がステージの二階の部分になっていて、まるで屋根付きのガレージのような感じだった。

ぼくは実はこの日のコンサートのことをあまりよく覚えていない。
断片的に覚えているのは、この日はとても寒くてコンサートの最中にスタッフの私物のジャンパーを借りて衣装の上から着た事、寒さで身体が冷えて本番中にトイレに行きたくなったのだが、トイレがステージからは非常に遠かったため、急遽スタッフが用意した簡易トイレでステージ裏で用を足した事、打ち上げは後日六本木の中華料理店で行われた事等々。

コンサートの中で印象的だったのは、中盤の佐藤準さんが加わってのバラード曲のコーナー、初披露されたレコードとはバージョン違いのDANCE、アンコールでの膨大な量の紙吹雪。

ぼくは演奏していて何だか不思議な感覚に陥っていた。
ステージから客席を見ると、グラウンドやスタンドを埋め尽くした何万という観客の姿は見えるのだが、何だか絵葉書や静止画を見ているようで、そこにお客さんがいるというリアル感が全く無かった。

屋外のためなのか、歓声もステージにはあまり届いて来なかった。自分達の演奏している音も風に乗ってどこかにかき消されてしまうような、手応えが感じられないような、ぼくは演奏しながらそんなどこか空回りしているような感覚に陥っていた。
勿論ベストは尽くしたし、コンサート終了後の達成感はあったものの、何だか今ひとつすっきりとしない複雑な気分だった。

コンサートが終わり、ほどなく自分の車で球場を後にした。
外に出ると街の其処彼処に、球場から飛んで来た紙吹雪がちらほら舞っていた。
ぼくはコンサートが終わって駅に向かう大勢の人達を横目で見ながら、夜の横浜の街を一人で走っていた。

1984.4.29横浜スタジアム。