2016/06/10

浜田省吾 #23 河口湖レコーディング 1984

1984年の初夏、浜田省吾のニューアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』のレコーディングが始まりました。
今回はその話を。

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1984年6月23日、ぼく達は河口湖でのレコーディングに向けて、それぞれ車で東京を出発した。

その頃ぼくは環七沿いのマンションを出て世田谷区経堂に引っ越していた。
ルームシェアをしていたビビノ音響のMくんが、次の浜田省吾さんのツアーのPAを担当することになって、西本明くんの時と同じくまたもぼくは、旅に出ても家に帰っても同居人と一緒の生活が始まろうとしていた。
しかしもう同じ轍は踏みたくなかったので、ぼくはMくんが浜田さんのツアーに出ることが決まった時から密かに部屋を物色していた(笑)
そして横浜スタジアムでのコンサートが終了してしばらくたったある日、ぼくは一人で経堂に引っ越した。

河口湖に出発する日、ぼくの車に同乗したのはベースの江澤くんと、浜田省吾のマネージャー。
ぼく達三人は経堂を出発するとすぐに甲州街道に出て、そこから中央高速で河口湖に向かった。

小雨が降りしきる中、約二時間程で一口坂・河口湖スタジオに到着した。
この日は梅雨の真っ最中で河口湖周辺もどんよりとした雲に覆われていた。

スタジオに着くと間もなく、機材のセッティングに取りかかった。
今日から二日間で四曲のリズムセクションのレコーディングを行う予定になっていた。
この日河口湖スタジオに集結したメンバーは以下の通り。

ドラムス:滝本季延 (としのぶ)
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二
キーボード:板倉雅一
サックス:古村敏比古

The Fuseからの残留組+ドラムの滝本くんという編成だった。
滝本くんは以前、浜田さんのバンドメンバーだったドラマーで、当時のバンドは滝本くんと鈴木俊二くんとのツインドラム編成だった。
滝本くんは、ぼくやベースの江澤くんとも旧知の間柄で、ぼくは彼の素晴らしさを知っていたので、滝本くんと一緒にレコーディング出来ることがとても楽しみだった。

各楽器のサウンドチェックを終えると、早速レコーディングが始まった。
広いスタジオ内は音のかぶりを防ぐために、各楽器ごとにパーテーションで仕切られていた。
ドラムとアコースティックピアノは、ちょっとした個室のようなスペースにセットされていた。

最初に録音したのは「Money」。アレンジはギターの町支さん。
この時レコーディングしたアレンジは、後に正式バージョンとして発表されたものとは全く別のバージョンで、後にアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』に収録されたバージョンよりもかなりテンポも速くて、もっとパンクっぽい軽めのサウンドだった。
あまりの曲のテンポの速さに、演奏しながらみんな手がつったほどだった。

次に録音したのは「The Pain」という仮タイトルの付いたバラード。
アレンジはぼく。
この曲も当初はレコードになったものとはかなり違うアレンジだった。もう少しブラコン(ブラック・コンテンポラリー)っぽいアレンジで、ちょっと洋楽っぽいと言うか完成版よりはあっさりとした感じのサウンドだった。

二曲のリズムを録り終える頃、ちょうど夕食の時間になった。
河口湖スタジオは賄い付きで、朝夕と美味しい食事が用意されていた。
ぼく達はレコーディング作業が一段落すると、スタジオに併設された建物の二階にある広いリビングに集まって食事をした。夜はここでお酒を飲みながらその日に録った音を聴いた。
スタジオの二階にあるルーフバルコニーからは、雲の隙間から時折顔をのぞかせる美しい富士山を眺める事が出来た。

食事を終えるとまだダビング作業が残っていた。
ダビング作業は主にぼくと町支さんの担当で、リズムを録り終えた滝本くんと江澤くんはすでにこの日の仕事を終えて寛いでいた。
ベーシックなキーボードとギターのダビングが終わるとすでに深夜だった。

スタジオには宿泊施設も付いていて、さながらシンプルなリゾートホテルと言った趣だった。

明けて24日は残りの二曲のリズム録りから始まった。
一曲目は「DANCE」。12インチシングルバージョンとは違うアレンジで、中心になってアレンジを担当したのは浜田さん。
こちらのバージョンはスティーリー・ダンのような、ちょっとアーバンな雰囲気の漂うアレンジだった。
ぼくはスタジオに常備されていたフェンダー・ローズ・スーツケースピアノを弾いた。
河口湖スタジオのローズはとても良い音がして、ぼくは弾いていてとても気持ちが良かった。
ローズピアノは個体差が激しくて、モノによっては全く良い音がしない場合もある。
ここのスタジオのローズは当たりだった。

もう一曲録音したのは後に「Silence」と題されるナンバー。
この曲は古村くんアレンジ。先日のぼくの家でのプリプロで骨格が出来上がっていた曲。
独特のベースラインに特徴のある、古村くんのアイデアが光るカッコいいアレンジだった。このベースラインを演奏した江澤くんは大変そうだったが、二つの異なるフレーズをダビングして重ねることで、あのカッコいいベースラインが完成した。

「Silence」のドラムにはリズムマシンを使用した。ドラムの滝本くんが持って来たアメリカのメーカー、シーケンシャル・サーキット社の「ドラムトラックス」という、まだ発売されたばかりのリズムマシンを使用した。
このドラムマシンは当時としては結構ハイスペックで、8ビットPCM音源 6パラアウトという仕様だった。今では笑ってしまうぐらい貧弱なスペックだが当時はこれが先端だった。

この日も夕食後に少しダビング作業を行ってから、ぼく達は河口湖スタジオを後にした。

河口湖から戻って何日から経ったある日、浜田さんから電話がかかって来た。
「この間、河口湖でレコーディングしたオケだけど一旦ボツにするから。」
「えぇ〜〜!?ボツですか?」「そう、あれから何度も聴いたんだけど何か物足んないんだよね。特にMoneyとThe Painの二曲。」
どうも浜田さんは町支さんがアレンジした曲と、ぼくがアレンジしたバラードのオケが今一つしっくり来ないらしい。
「せっかくレコーディングしたのに悪いんだけど、もう一度アレンジを練り直してくれないかなぁ。」
「そうですか、分かりました。もう一度考えてみます。」

そうしてぼくと町支さんは再びアレンジをし直すこととなったのである。

以下続く。

ボツになった「Money」と「Pain」が収録されたテープ。

スタジオに併設されたレジデンスエリア。二階部分がリビングで一階が宿泊施設。
  
「Silence」で使用したドラムトラックス(Wikipediaより)