2016/06/27

浜田省吾 #25 「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」

1985年5月22日、浜田省吾のシングル「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」が発売されました。
ぼくにとっても初のシングル曲のアレンジと言うことで、とても気合いが入りました。
今回はその話を。

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1985年4月10日、ぼくは信濃町ソニースタジオの第一スタジオにいた。
この日は浜田省吾のシングル盤のレコーディングが行われることになっていた。
一曲はマイナー調のミディアムテンポの曲、そしてもう一曲はバラードの二曲をレコーディングする予定だった。

レコーディングの何日か前に、浜田さんとマイナー調の曲の簡単なプリプロを行った。
浜田さんが曲のイントロのテーマとなるメロディを考えて来ていて、是非そのフレーズを入れて欲しいとのオーダーがあった。
ぼくはそのメロディをエレキギターで奏でるのはどうだろうか?と提案すると、浜田さんも「それはいいね、そうしよう。」と同意した。
結果、そのフレーズはイントロ、ブリッジ、アウトロと何度も登場することになって、「LONELY-愛という約束事」のサウンドイメージを決定づける印象的なものとなった。

もう一曲のバラードのほうは、これといったプリプロは行わなかったのだが、当時ぼくも浜田さんもアメリカのシンガー・ソングライター、ダン・フォーゲルバーグの楽曲やサウンドがとても好きだったので、ダン・フォーゲルバーグのレコードのようなサウンドクオリティを目指そうということになった。

早速ぼくは浜田さんから受け取った一本のカセットテープを聴いてみた。
中には浜田さんがアコースティック・ギター一本で歌っているデモが入っていた。
後に「もうひとつの土曜日」として世に出ることになる曲の原石だった。
浜田さんの歌っているデモにはまだ歌詞が付いていなくて、ほぼ全編「ラララ〜」で歌われていた。
テンポもちょっと早めで、同じメロディを何回も繰り返している曲だった。

デモを聴き終えてぼくは頭を抱えてしまった。「う〜ん、何だかヘンな曲だなぁ、数え唄みたいだし、今までの浜田さんのバラードっぽくないなぁ。」デモを聴いたファーストインプレッションでは、正直ぼくはあまりいい印象を持てなかった。
それから何度も何度も繰り返しデモを聴いた。でも何度聴いてもあまり印象は変わらなかった。
結局その日は何もいいアイデアが湧かず寝てしまった。ぼくはアイデアやインスピレーションが湧かない時は、さっさとあきらめて次の日に持ち越すことにしていた。

次の日、遅くに起きたぼくは仕事部屋に籠ってピアノの前に座り、あれこれあてども無くピアノを弾き続けては、浜田さんの作ったメロディとぼくの感覚が交差するポイントを探り続けた。
弾き始めて数十分後、ぼくのピアノを弾く手から自然とあのイントロのメロディが流れて来た。

「ラ〜ララ〜、ラ〜ラ〜、ラ〜ラ〜ラ〜、ラ〜ラ〜ラ〜♪」おぉっ、いい感じ!

イントロのメロディが閃いてからは早かった。一番はピアノだけの伴奏にして浜田さんのボーカルとピアノのユニゾンで行こう、リズムが入ってからはハーフビート(通常スネアドラムが2拍目、4拍目にアクセントが来るのを3拍目だけのアクセントにする)で進行して行こう、間奏はストリングスの奏でるメロディにしよう等々、次々にアイデアが湧き出て来た。

それを忘れない内に譜面に書きとめ、バラード曲のアレンジは出来上がった。

4月10日、リズム録りのレコーディングは12時〜17時までの5時間。約2時間で一曲のリズム録りを終えないと間に合わない計算になる。
ぼく達ミュージシャンはそれぞれの持ち場に着くと、すぐにサウンドチェックを始めた。

この日、リズム録りに集まったメンバーは以下の通り。

ドラムス:滝本 季延
ベース:江澤 宏明
ギター:町支 寛二
ピアノ:板倉 雅一

ぼくはヤマハのシンセサイザーDX5の前に座り、ミキサー卓が置かれているコントロールルームでプレイした。他のメンバーはスタジオのブースの中にいた。
一曲目の「LONELY-愛という約束事」からリズム録りは始まった。
一人コントロールルームでプレイするというのはなかなかイヤなもので、ミキサー卓のすぐ後ろで演奏しているぼくの後ろには、仏頂面で腕を組んでソファに深く腰掛けたスタッフ達がいた。
ぼくはこの何とも言えない独特の雰囲気がとても嫌いだった。これだけは何度レコーディングをしても慣れなかった。

「LONELY」のリズム録りはスムーズに終了した。
少しだけ休憩した後、「もうひとつの土曜日」のリズム録りが始まった。
今度はぼくもスタジオのブース内に入り、スタインウェイのフルコンサートサイズのグランドピアノの前に座った。コントロールルーム内の独特の雰囲気から解放されたぼくは、ようやくピアノの前でほっと一息ついた。

「もうひとつの土曜日」はリズム録りの段階で、すでにほぼ完成形に近い歌詞が出来ていた。
ディレクターからのキューが出てレコーダーが回りだすと、ボーカルブースに入った浜田さんがぼくの弾くピアノに乗せて暫定の歌詞を歌い始めた。
すると今まで何かヘンな曲だなぁと思っていた曲が、まるで命を吹き込まれたかのようにキラキラと輝き出した。
「B面予定のバラード曲」はあの声で歌われ、歌詞が付いた途端に、みるみる名曲の香りを醸し出し始めていた。ぼくは正直ビックリした。

リズム録りを終える頃には、ぼくの中で「何かヘンな曲」だったのが、すっかり「名曲」へと変貌していた。

次の日の11日、代々木オリンピックプールで行われたブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのコンサートをメンバーと観に行った。
三時間超えの長く素晴らしいコンサートだった。
ぼく達は多いに刺激を受けて帰路についた。

後日、楽器のダビングが行われた。
4月12日は13時から古村くんのサックスと法田さんのギター、ぼくのシンセサイザーのレコーディングが明け方まで続いた。

翌13日は19時〜21時、パーカッションのダビング。パーカッションはペッカーさんに叩いてもらった。

4月17日は六本木のセディックスタジオに場所を移して、シンセサイザーのレコーディングだった。
シンセサイザーはサンドキャッスルのアレンジャーでもある佐藤準さんにプレイしてもらった。
この日、準さんが持ち込んだシンセは、まだ日本に数少なかった「KURZWEIL K-250」という当時約300万もした高価なモノ。
「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」で聴ける独特の音色のストリングスは、この「KURZWEIL K-250」で佐藤準さんがプレイしたものである。

翌18日にトラックダウンが完了して、無事「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」は完成した。ぼくにとっても初の両面アレンジを手がけたシングル盤となった。
完成したトラックは結果的にはダン・フォーゲルバーグのようなサウンドではなかったけれど、現在に至るまで歌い継がれる作品となった。

そして思えばこのシングルが完成した時点から、二枚組大作「J・BOY」への道程はすでに始まっていた。

ぼくは翌々日から束の間の休暇を取ってハワイへと旅立った。

田島照久さんのアートワークが素晴らしいジャケット。