2016/07/23

浜田省吾 #28 J.BOY 1

1986年の2月にツアーが終了して、いよいよ二枚組の大作「J.BOY」のレコーディングが始まりました。今回はその話を。

++++++++++++++++++++++++++++++++   

1986年2月19日、横浜文化体育館で浜田省吾ON THE ROAD 85'が終了した。と同時に約二年間続いたバンドの歴史にピリオドが打たれた。
この日は朝から降り続いていた雪の影響で、交通機関が大幅に乱れていた。ぼくも一度は車で出発したものの、道路に雪がかなり降り積もっていたため途中で断念して引き返し、電車で横浜に向かう羽目となった。

ON THE ROAD 85'の最終日のコンサートは、それまでいろいろあった二年間の出来事を払拭するような入魂のステージだった。
ぼくも清々しい気分で最終日のコンサートを終えた。

3月の上旬、ニューアルバムのレコーディングに向けてのミーティングとプリプロダクションが行われた。
ニューアルバムのレコーディングは、町支さん、古村くん、江澤くん、そしてぼくの四人を中心として進めて行くことになった。プロデュースは浜田さん。
そしてそのメンバー+新たなドラマーが加わることとなった。

早速新たなドラマーとのセッションが行われた。
そのドラマーは高橋伸之さんという方で、南こうせつさんのバンド等で演奏していたということらしかった。アレンジャーでギタリストの水谷公生さんからの紹介だった。
ぼく達は初台のレオミュージック・スタジオで、高橋さんと初めてのセッションをした。

その時にどんな曲を演奏したかはよく覚えていないが、10曲程度演奏したと思う。
最初の曲を演奏した瞬間にこの人となら安心だ、という直感が働いた。素晴らしいプレイだった。浜田さんも一緒に演奏していたメンバー全員も同じ意見だった。
かくして新しいドラマーは高橋伸之さんに決定した。
これでニューアルバムのレコーディングメンバーが揃った。

ぼく達はレコーディングに入る前に、リハーサルスタジオで何度もプリプロを繰り返した。
今回もアレンジはバンドメンバーが分担して手がけることになった。プロデューサーである浜田さんの意向だった。
今回のアルバムはもしかしたら二枚組(当時はCDよりもまだアナログ盤が主流)になるかも知れないとのことだった。なのでレコーディングする曲数も多く、ぼく達はどの曲を誰がアレンジするかを決めなくてはならなかった。

どのような経緯でアレンジを担当する曲を分担したのかは、はっきりとは覚えていないが、ぼくと町支さん、古村くん、江澤くんの四人がほぼ均等な曲数を担当することになった。
アルバム「J.BOY」収録曲の中で、ぼくがアレンジした曲は以下の通り(共同アレンジ名義の曲も含む)

・A NEW STYLE WAR
・BIG BOY BLUES
・LONELY-愛という約束事
・もうひとつの土曜日
・遠くへ - 1973年・春・20才
・SWEET LITTLE DARLIN'
・J.BOY
・滑走路 - 夕景

ぼくは18曲中8曲のアレンジを担当することになった。
そんなに日程に余裕があるわけでは無かったが、幸いツアーは終了していたので家でアレンジを考える時間はあった。
ぼくが担当する8曲の内、4曲は(BIG BOY BLUES、LONELY-愛という約束事、もうひとつの土曜日、SWEET LITTLE DARLIN')すでにシングルとして発表済みで、アレンジもすべてぼくが担当していたので、今回アルバムバージョンとして再録音は行うものの、そんなに大幅にアレンジを変えるつもりは無かった。

しかし唯一「BIG BOY BLUES」だけは、町支さんによるアレンジで新たにレコーディングを行った。ぼくがアレンジしたバージョンとはまた違ったテイストのカッコいいアレンジだったが、結局町支さんアレンジの「BIG BOY BLUES」はアルバムには収録されなかった。理由はぼくにも分からない。
そんな訳で「BIG BOY BLUES」は、再びぼくのアレンジで再録音することとなった。

おそらくもうテープは残っていないのだろうが、もしも出来る事なら町支さんがアレンジした、幻の「BIG BOY BLUES」をもう一度聴いてみたい。

「LONELY-愛という約束事」「もうひとつの土曜日」「SWEET LITTLE DARLIN'」の3曲も、大幅にアレンジを変えることはしないで新たにレコーディングし直した。
「LONELY-愛という約束事」はシングルバージョンには無い、イントロの導入部分にちょっとしたフックを付け足した。

「もうひとつの土曜日」はシングルバージョンではアコースティック・ピアノをプレイしたが、アルバムバージョンではヤマハDX5によるエレクトリック・ピアノを演奏した。
楽器の編成もシングルバージョンよりも意識的にシンプルな編成にした。

「A NEW STYLE WAR」は浜田さんと古村くん、そしてぼくの3人での共同アレンジ。
浜田さんからの様々なアイデアやインスピレーションを具現化して、主にアレンジを担当したのは古村くん。ぼくはシンセサイザーのリフのフレーズや、コード付け等、主にウワモノの楽器関連のアレンジを担当した。

「SWEET LITTLE DARLIN'」もシングルバージョンよりシンプルなアレンジで、よりR&B色を全面に押し出したサウンドになった。

ぼくがアレンジを担当した残りの3曲は結構苦戦した。

「遠くへ - 1973年・春・20才」は浜田さんが昔から大切にして来た曲だった。
歌詞の世界観を膨らませるようなサウンドにしようと、ぼくは色々と試行錯誤を繰り返した。
この曲のサウンドの要は江澤くんが弾くシンセサイザー・ベース。
ぼくはこの頃、デビッド・フォスターやマイケル・オマーティアンといった、ロスアンゼルスを中心に活躍していたプロデューサー/キーボーディストに傾倒していて、彼等の作り出すサウンドにかなり影響を受けていた。
特にデビッド・フォスターの弾くシンセベースにはとても衝撃を受けた。当時シンセベースと言えばコンピュータによる打ち込みの演奏が当たり前の時代において、デビッド・フォスターは自分のプロデュースした殆どの楽曲のシンセベースを、コンピュータによる打ち込みではなく自らの手で弾いていた。

ぼくはこの曲にそんな手弾きによるシンセベースのテイストを入れたかったので、打ち込みによるシンセベースではなく、江澤くんに手弾きしてもらった。彼は本来はベーシストであってキーボード・プレイヤーではないのだが、実はかなりなキーボードの腕前の持ち主でもあった。
手弾きによるシンセベースも、ぼくが弾くよりもずっと上手かったので、江澤くんにプレイしてもらうことにした。

以下続く。

アナログ盤と同時発売されたオリジナルCD盤。当時の価格は5,000円。