2016/07/16

バンド編 #3 


バンド編 #3です。

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 夕方になってビアガーデンがオープンすると、会社帰りのサラリーマンやOLでテーブルが徐々に埋まって行った。ぼくは厨房から従業員用の賄いメシ(注1)をもらうと急いで胃袋に収めた。

ぼく達“コースト”の出番は夜の7時からの40分と、8時からのチャッピーズのバックで30分、9時からの30分の計100分、約1時間40分のステージだった。
やがて7時になり初の出番がやってきた。多少の不安はあったものの、熱海の旅館でヘンな度胸がついていたぼくは、そんなに緊張もしていなかった。

8割程埋まったお客さんの前でいよいよ一回目の演奏が始まった。1曲目はイーグルスの「テイク・イット・イージー」(注2)だった。熱海の時とは違い屋外での演奏なので気持ちがいい。ぼくもコーラスなどを軽快につけて順調にステージは進んで行く。始めは緊張していたボーカルの宮沢だったが、次第にジョークを飛ばす余裕も出てきた。そうしてアッという間に一回目のステージが終わった。

「なんだか訳分かんないうちに終わっちゃったわ。」ベースの後藤(注3)がボソっと呟いた。彼は普段から無口な男で滅多に笑わない。「でも思ったよりもやりやすいと思わない?」ギターの佐藤(注4)が言った。彼もまた無口な男だが、ギターの腕前はスゴイ。

そうこうしているうちに今度はチャッピーズの出番になった。ステージの袖にあらわれた彼女たちは、リハーサルのときとは打って変わったキンキラの衣装を身にまとって、見事にアイドルに変身していた。ぼく達も自分達のステージの時は緊張しなかったのに、彼女達のバックとなったら急に緊張してきた。そういえばさっき一回リハーサルしただけだった、とか思ったら余計に心臓がバクバクしてきた。

まずはぼく達が先にステージに上がって、チャッピーズを呼び込むという形をとることにした。ボーカルの宮沢がチャッピーズを呼び込んだ。「今日から僕達と一緒にステージを努めるチャッピーズの3人を紹介しま〜す!」袖からチャッピーズの3人が登場する。
宮沢が続ける。「チャッピーズです!メンバーを紹介します、向かって左から・・え〜、左から・・・。」そういえばメンバーの名前を聞いていなかったことに全員気がつく。まったくアホな連中である。事態を察したチャッピーズの3人がすぐさまフォローに入る。「ナッチで〜す。サッチで〜す。ミッチで〜す。」テキパキと自己紹介をする彼女達を後ろから見ていたマヌケなぼく達は、そのとき初めて3人の名前を知ったのだった。

3人とも最後に「チ」がつくのね、ふ〜ん。などとぼくは彼女達の健康そうな後ろ姿を見ながら考えていた。
フト我に返ると、吉岡のカウントが聞こえてきた。「ヤッベ〜!」ぼ〜っとしてたら一曲目の「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」(注5)が始まっていた。あわてて曲についてゆく。なんとかポカをしないで済んだ。

最後に彼女達のオリジナル曲をやってチャッピーズのステージも終了した。これで2回のステージを終えたのだが、この時点でぼくはもうクタクタになっていた。「あともう一回あるのかぁ、大丈夫かなぁ。」なとどかなり弱気になりつつコーラを一杯飲んだ。しかしそんな心配などしている間もなく、すぐに3回目のステージが始まった。

9時からのステージは30分なのでそれこそアッという間である。なんとか初日のステージを終えたぼく達は、全員口をきくのもイヤになるほど疲れ切っていた。熱海とは違って、ボーカルの入ったバンドなので疲れ方が違う。ぼくも1曲リードボーカルをとる曲があったりもして、そのせいもあってか本当に疲れた。
一日に2回出る賄いメシを食べる気力もなく、電車に乗って市川駅(注6)まで帰り、そこからバスに乗って家に着くとその日は泥のように眠った。

次の日からは徐々にステージにも慣れてきて、チャッピーズの3人とも仲良くなっていった。当初はぼくと同じ年ぐらいだと思っていたチャピーズの3人が、実はだいぶ年上だったりとか、3人とも彼氏がいるとか、ちょっとがっかりしたこともあったが、一週間も経つと短い休憩の間に賄いメシを食べる余裕も出てきた。
しかしこのメシがマズイのにはホントに閉口した。こればかりは何回食べても最後まで馴染めなかった。

それと仕事を終えて家に帰るのに、最終のバスに乗れないことがしばしばあった。ぼくの家は駅からバスに乗らないと帰れない場所にあり、ちょっと帰りが遅くなると交通手段がタクシーしかなくなる。これは駅前にアパートでも借りないと割が合わないな、と真剣に思い始めていた。

ぼく達はビアガーデンと並行して、ライブハウスでも本格的にやりたいと思っていたので、そのための練習もまだ客のいない昼間のビアガーデンのステージを借りてやっていた。
ふいの夕立などでその日のステージが急遽中止になると、よく銀座の街をブラブラした。数寄屋橋のショッピングセンターの2階にあった中古レコード店(注7)にはよく行った。ここでワゴンの中に入っている激安のLPを買っては当たりだ、はずれだと騒いでいた。日劇の向かいの映画館にもよく行った。銀座4丁目のほうまで足を延ばして地下鉄で帰ることも多かった。

マネージャーのトミタさんから、ライブハウスの出演が決まった話を聞かされたのは、出演一週間前のことだった。場所は吉祥寺の「ウィッシュボン」というカントリーのお店で、対バンありのライブらしかった。しかしメンバー全員、何でオレ達がカントリーのお店なワケ?と思い、トミタさんに聞くと「他におまえらを出してくれるところが無かったの。」と箇条書きのように言われてしまった。
ともかくカントリーのレパートリーも、何曲かは増やさなければマズイだろうということになり、慌ててカントリーの曲の練習をしたり、ビアガーデンで実際に演奏したりした。

ビアガーデンが休みの日に、ぼく達は久々にコロムビアのスタジオで朝からみっちり練習をした。いよいよ明日はぼく達コーストの本当の意味での初ステージの日だ。ぼくは不安と緊張の中でいつしか眠りに落ちていた。

7月18日の夕方5時に、吉祥寺にあるカントリーのライブハウス「ウィッシュボン」に入るように言われたぼくは、市川から総武線に揺られて4時30分頃に吉祥寺の駅に着いた。ウィッシュボンの場所はアーケード街から少し入った雑居ビルの中にあって、予め地図を貰ってはいたものの迷って遅れては行けないと思い、少し早めに到着するように家を出た。

雑居ビルの場所はすぐに分かった。エレベーターを降りてウィッシュボンの中に入ると、そこはいかにもカントリーのお店という作りで、まるで西部劇に出てくる酒場のようだった。
初めてのライブハウスの雰囲気にかなり飲まれつつも、先に到着していたサコタさんと楽器のセッティングにかかる。今日は対バンというか、同じ事務所に所属している「パナマ・レッド」というバンドとの交代でのステージらしい。
対バンがいたことにも驚いたが、事務所にもうひとつバンドがいたことのほうが100倍ぐらいビックリした。

間もなくメンバーが揃って一息ついていると「パナマ・レッド」の連中がやって来た。社長のナミキさんも一緒である。「おはよう。今日はウチのバンド同士の対バンだな、ひとつ仲良くたのむよ。パナマの連中を紹介するな。リーダーでギターの棚橋、それから〜・・・。」ナミキさんが次々とメンバーを紹介して行く。パナマ・レッドは4人編成の本格的なカントリーバンドだった。棚橋さんが曲に応じてエレキ・ギターとペダル・スティールギターを使い分けるらしい。ステージにはペダル・スティール・ギター(注8)がセッティングしてあった。

本番は7時からコーストとパナマ・レッドの交代で、30分ステージを3回ずつというものだった。途中休憩があるので全てのステージが終わるのが11時過ぎらしい。それから楽器を片づけてとなると、終電に間に合うかちょっと心配になってきた。

とにかくリハーサルを済ませて本番を待つ。店がオープンすると間もなくお客さん達が入ってきた。明らかにカントリーが好きだとわかるいでたちの人が多い。こりゃぁ参ったな、と心の中で思いつつ宮沢さんに聞いた。
「宮沢さんってカントリー詳しいの?ぼくほとんど知らないんだよね。今回のためにリハーサルした曲とかも初めて聞いた曲多かったし、お客さんのほうがずっと詳しそうだし、何だか心配になってきましたよ。」「俺だってあんまり知らないけど、こうなったらやるしかないからな。まぁ楽しんでやろうや。」もともとおおらかな性格の宮沢さんは、さほど気にもとめていないようだった。

やがて一回目のステージの時間がやって来た。最初はぼく達コーストのステージからだった。一曲目はビアガーデンでのレパートリーでもある、イーグルスの「テイク・イット・イージー」だ。お客さんの反応もまずまずのようだった。
他にもリンダ・ロンシュタット(注9)の曲や、オーリアンズ(注10)の曲など、カントリーとは少しばかり違うジャンルからの選曲ではあったのだが、それでもお客さんにはおおむね好評のようで、ひとまず胸をなで下ろした。

ぼく達の出番が終わると交代でパナマ・レッドのステージが始まった。ぼくも客席からパナマのステージを見る。いきなり棚橋さんのペダル・スティールが炸裂した。ポコ(注11)の曲だ。その演奏といいコーラスといい、ぼく達とはレベルが違う。
頭をハンマーで叩かれた(注12)ような衝撃を覚えた。次から次へと曲芸のような演奏が続く。プロのステージというものを、まざまざと見せつけられた。

パナマの演奏を目の当たりにした衝撃で、そのあとのぼく達のステージは何をやったのかよく覚えていなかった。
ぼくは打ちひしがれながら、最終の一本前の電車に乗って市川に戻った。最終のバスも出たあとで、駅から1時間程かけて歩いて家に帰った。

次の日ビアガーデンに行くと、マネージャーのトミタさんから新たな仕事の話があった。「今度コロムビアからデビューした女性のシンガーがいるんだけど、バックバンドを探しているらしいんだ。それで俺達のところに話がきたんだけどやってみる気はある?」全員で顔を見合わせた。
一瞬の沈黙の後、リーダーの吉岡が言った。「勿論、みんなもやるよな。」「うん、やろうよ!」「そうだね。やってみよう!」誰彼ともなくみんな同じ意見だった。
「よし決まった!俺の方からコロムビアに言っとくわ。細かいスケジュールがすぐに出てくると思うから、決まったら連絡する。」

数日後、トミタさんが新人歌手のLPと譜面を持ってきた。「仕事決まったから。すぐにリハーサルに入るからとりあえずレコード聞いておいて。」トミタさんはメンバー全員にレコードと譜面を配ってまわった。
もらったLPのジャケットには、アルバムタイトルと共に「庄野真代」という名前がクレジットされていた。


(注1)ビアガーデンの従業員と共通のメシだった。いちおうバイキング形式になってはいたものの、その味は酷かった。
(注2)イーグルス1972年の大ヒット曲。
(注3)ぼくよりも一つ年下のベーシスト。当時ぼくと痩せ具合を競い合っていた。
(注4)ぼくより二つ年上のギタリスト。日大芸術学部に籍を置く学生でもあった。当時彼が下宿していた部屋の中の汚さは、国内でもトップクラスを誇っていた。
(注5)シュープリームス1965年の全米No.1ヒット。日本でもディスコでこの曲のステップが流行った。
(注6)ぼくが20代前半まで利用していた国鉄総武線の駅。駅前にあったラーメン屋がぼくの定番だった。
(注7)銀座ハンターという中古レコード店。掘り出し物がよくあった。
(注8)カントリーになくてはならない楽器。両手両足を巧みに操りながらスライドバーを使ってプレイする。
(注9)L.Aの歌姫と呼ばれたシンガー。ぼくも大ファンである。
(注10)名曲「ダンス・ウィズ・ミー」でお馴染みのバンド。和田アキコの曲ではない。
(注11)バッファロー・スプリングフィールドにいた、ジム・メッシーナとリッチー・フューレイが中心となって結成されたバンド。後にイーグルスのベーシストとなる、ランディ・マイズナーとティモシー・B・シュミットが在籍していたことでも有名。
(注12)本当に叩かれたら死んでしまうのである。

数寄屋橋ショッピングセンターの二階にあった中古レコード店「ハンター」の袋。