2016/07/30

バンド編 #4 昭和51年 夏

 バンド編#4です。

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7月21日の昼過ぎ、赤坂にあるコロムビアレコードの会議室にぼく達コーストのメンバーは集合した。程なくディレクターの三野さんが女性を連れてやって来た。「皆さんに紹介します。ウチの新人の庄野真代です。よろしく。」三野さんが簡潔に彼女を紹介した。

「初めまして、庄野です。これからよろしくお願いします。」少し関西訛りのある標準語で彼女が挨拶をした。「どうも、コーストです。いろいろとご迷惑をお掛けするかも知れませんが仲良くやりましょう。」リーダーの吉岡がやはり関西訛りの標準語で言った。吉岡は神戸の出身だった。

ディレクターの三野さんが言った。
「え〜、これから皆さんには一週間ほどリハーサルに入っていただきます。スタジオは一階のスタジオ・セブンを使ってもらって結構です。8月の5日が初仕事になりますので、よろしくお願いします。」

ぼく達は庄野真代のリハーサルをやりつつ、バンドでのライブハウス出演とビアガーデンのステージをほぼ同時にこなさなくてはならなくなった。これはなかなかとんでもないことになってきたぞ、と思っていた矢先に疲れがたまっていたためか風邪をひいて寝込んでしまった。
そして前から探していたアパート(注1)が決まったとの知らせが、一緒に住むことになった友達から入った。

幸いすぐに熱も下がり、すぐさま庄野真代のリハーサルに突入した。その合間に銀座のジャズ喫茶「タクト」(注2)への出演や、ビアガーデンの仕事もしなければならなかった。

彼女とのリハーサルは最初はちぐはぐしたものだった。こっちはウエストコースト大好き、少しはカントリーもやりまっせ!という垢抜けないバンド、かたや彼女の指向はオールディーズからスタンダードジャズ、歌謡ポップスまで何でもござれという幅広いものだった。

ギターの佐藤やベースの後藤はそつなくこなしていたが、ぼくは大変だった。何せそれまでジャズピアノなど弾いたこともなかったものだから、付け焼き刃のインチキジャズピアノでお茶を濁すしかなかった。リハーサルが終わるとすぐに渋谷のヤマハ(注3)にジャズピアノの教則本を買いに走ったりした。

やがて8月になり、彼女との初仕事の日がやってきた。その2日前に市川駅から徒歩10分程のところにある6畳一間のアパートへ引っ越しをした。同居人は幼なじみのコック志願のオカムラ(注4)と言う男だった。彼とは3才の時からのつき合いで、なにも気兼ねすることなどなかったので、面白そうな毎日になりそうだった。

庄野真代との初仕事はラジオの公開録音番組だった。文京区にある後楽園ゆうえんちでの公開番組で、やはりまだデビューしたばかりの浜田省吾とのジョイントだった。後から思えば、ぼくが初めて浜田さんと出会ったのはこの時であった。

会場はゆうえんちの野外に設営された、テント張りの申し訳程度のステージだった。
夏休みということもあってステージの前は黒山の人だかりが出来ていた。たった数曲だけのステージだったが、何とか無事に初仕事は終わった。

後楽園ゆうえんちでの公録を終えると、そのままぼく達バンドは吉祥寺に移動しウィッシュボンに出演した。一日に二つの仕事をかけもちして最終電車で市川に着き、アパートに戻るとオカムラがメシを作ってくれていた。コック志願だけあって彼の作るメシはめっぽう美味かった。ぼくは体が汗まみれで銭湯に行きたかったのだが、深夜の1時を過ぎていてはもう開いているはずもなく、しかたなく台所の流しで体を拭いて倒れるように眠った。

次の日、初ステージの反省も交えながら、また庄野真代とスタジオでリハーサルをした。次の仕事は浜松のヤマハホールでのミニライブだった、前日銀座タクトでのバンドのライブを終えたぼく達は、やや疲れつつ車で浜松に移動した。庄野真代のプロモーションを兼ねたミニライブで数曲を披露し終え、トンボ帰りで東京に戻った。

そんな感じの日々がしばらく続いて、久しぶりのビアガーデンの仕事に戻ると、マネージャーのトミタさんが新たな仕事を持ってきた。
「レコーディングの話が決まったから。ミス花子(注5)というシンガーのアルバムのレコーディングをやることになったよ。で、スタジオで一発録り(注6)のライブ形式レコーディングをするから、心してかかるように。」

「え〜!?ライブレコーディングで一発録りって、もしかしてやり直しきかないんですか?」ベースの後藤が聞いた。「そうだよ、やり直しはきかないな。その代わりみっちりリハーサル時間とったから。」トミタさんは相変わらず無表情でさらりと言った。「あさってから2日間リハーサルやるから。時間は12時から23時までとってあるから。よろしくな。」それだけ言って音資料をメンバーに配ると、トミタさんはどこかに行ってしまった。

「ライブレコーディングで、一発録りかぁ。ヤバイな〜。」ギターの佐藤がボソっと言った。「まぁ、やるっきゃないっしょ!何とかなるよ。」ボーカルの宮沢さんがみんなの不安を打ち消すかのように言った。「そうだね、やるしかないよね。早速帰ってテープ聞かなくちゃ。」ぼくも自嘲気味に言った。はっきり言ってまったく自信はなかった。初のレコーディングがライブレコーディングでしかも一発録りとは・・。リハーサルの日まではもう時間がなかった。

やがてミス花子のライブレコーディングの日がやってきた。
有楽町にあるニッポン放送の第一スタジオに到着したぼく達は、早速楽器のセッティングにかかった。
この日はスタジオにお客さんを数十人ほど入れての公開ライブレコーディングだった。

セッティングが終わると調整宅のあるブースからサウンドチェックの指示がきた。何せ一発録りなので録音スタッフも慎重を期している。楽器やボーカルのバランスも一度決めたら変更がきかない。フェンダー・ローズピアノの前に座ったぼくは、ディレクターの指示に従って黙々とサウンドチェックを済ませた。

程なくリハーサルが始まった。ミス花子もいつものひょうきんさは影を潜め、緊張の面持ちでギターをつま弾いている。「じゃぁ、一曲目からストレートコーダ(注7)で最後まで全曲やってみようか。」ディレクターの声がヘッドホンから聞こえてきた。

今日は全部で十数曲を披露する予定なので、ストレートコーダで演奏していっても結構時間がかかる。一時間半ほどでリハーサルを終えると、間もなくスタジオにお客さんが続々と入ってきた。ミス花子がDJを務めるラジオ番組(注8)で公募した中から、抽選に当たった人達が招待されていた。

やがて本番の時間が来た。観客の歓声に迎えられてミス花子が定位置に着く。一曲目は大ヒットした「河内のおっさんの唄」だ。演奏しながら早くも心臓は早鐘を打っている。間違えた途端にそのままレコードに記録されてしまうため、無難に演奏しようとするあまり余計に指が動かない。ぼくは落ち着く為に演奏しながら何回か深呼吸をした。

深呼吸の甲斐あってか、少しづつ落ち着いてきた。すると萎縮していた指も徐々に動くようになってきた。後はもう間違えたら間違えただ、という妙な開き直りのおかげで順調に一発録りライブレコーディングは続いていった。

気がつくともう最後の曲になっていた。ミス花子が「今日はおおきに!最後にもう一度河内のおっさんの唄をやりま〜す!」の一言で予定外のラストにはなったものの、何とかライブレコーディングを終えることが出来た。

終わってみればあっという間の出来事で、あ〜すればよかった、こ〜すればよかったと後悔することしきりであった。軽い打ち上げの後、帰宅すると同居人のオカムラはもう寝ていた。コック修行中の彼は渋谷のレストラン(注9)で働いていた。
朝が早いため、ぼくとはかなり真逆の時間帯で生活していた。オカムラを起こさないように、そっと流しに置いている洗面器とタオルを肩にかけて、ぼくは真間川沿いにある銭湯に直行した。

次の日、いつものようにビアガーデンに行くと、メンバー達と昨日のレコーディングの話になった。やはりみんな愚痴と後悔を口にしている。「いったいいつ発売になるのかなぁ。」「来月もうLPになるってディレクターの人が言ってたぜ。」吉岡と宮沢が半ばヤケ気味に話している。

この日のビアガーデンでの演奏はひどいものだった。昨日のレコーディングで緊張が切れてしまったぼく達は、ハリのない歌と間違えてばかりの演奏を続けていた。

仕事を終えるとマネージャーのトミタさんにこっぴどく叱られた。「おまえらやる気あんのかぁ?なんだ今日の演奏は。まだアマチュア気分が抜けないんじゃないか?プロだったらもっとちゃんとしろ!!」
まったくそのとおりだった。自分達の力不足を棚に上げ愚痴ばかり言っていたぼく達に、トミタさんはゲキを飛ばしてくれたのだった。「すみません、明日から気を引き締めて頑張ります。」宮沢が全員を代表していった。


(注1)市川駅から徒歩10分程の、真間川沿いにあった6畳一間風呂無しのアパート。家賃は一万七千円だった。

(注2)銀座すずらん通りにあった、40数年の歴史を誇るライブハウスというかジャズ喫茶。60年代後期にはグループサウンズが多数出演していた。中2階にステージがある変わった作りだった。

(注3)渋谷道玄坂にあった老舗楽器店。他では手に入らない輸入盤のLPが置いてあったが、高価で手が出なかった。残念ながら今はもう閉店して無い。

(注4)幼なじみの親友。子供の頃からよく一緒に遊んだ。のちにオーナーシェフとしてレストランを開業する。現在は軽井沢でペンションを経営している。

(注5)芸名とは裏腹に男性シンガーなのである。

(注6)やり直しの出来ないレコーディング方法のこと。間違えたらそのままレコードになってしまうのである。通常のレコーディングは何度でもやり直しが出来る。

(注7)曲の始めからワンコーラスで終わりまで行く譜面の読み方。現在はあまり使われていない呼称である。

(注8)おそらく「オールナイトニッポン」だったような・・。

銀座TACTでのコーストのステージ。一緒に移っているのはドラムの吉岡とベースの後藤。