2016/08/05

浜田省吾 #29 J.BOY 2

J.BOY Part.2です。


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「遠くへ - 1973年・春・20才」は結果としてアルバムの中で二番目に長い曲になった。
「遠くへ〜」ではあえて間奏にソロ楽器を入れないで、コード進行や楽器のアンサンブルで聴かせる構成にした。

レコーディングのリズム録りは、大体どの曲でも最初の1テイク目でアレンジの構成やテンポの確認等をして、次の2テイク目か3テイク目ぐらいで元となるOKテイクを録ってしまうことが多い。あまり何回もテイクを重ねると鮮度と集中力が落ちて、結果としてあまり良いテイクが録れなくなる。

OKテイクが録れて次にやることは、間違えた箇所や演奏し直したい箇所の修正。それぞれが演奏し直したい箇所を自己申告して録音する。これをパンチインと呼ぶ。
パンチイン、パンチアウトはスタジオ作業の中で頻繁に使われる用語で、ミュージシャンとエンジニアの間で「3小節目の2拍目からパンチインして 、4拍目のアタマでパンチアウトして下さい」と言ったような会話が飛び交っていた。

「遠くへ - 1973年・春・20才」は長い曲だったので、何回もテイクを重ねると集中力が持たなくなるため、少ないテイクでOKになるようにバンド全員が高い集中力で録音に臨んだ。

インストゥルメンタルナンバーの「滑走路 - 夕景」は、浜田さんが井上鑑さんのアルバムに提供した曲のセルフカバー。
ぼくはエレキギターがリードを取るインストナンバーにするのが良いのではと思い、浜田さんに提案したところ、それで行こうということになった。
例によってイントロのメロディが浮かんだ時点で、ぼくはほぼアレンジが出来た気分になったが、この曲に関してはそこから先が結構大変だった。
法田勇虫さんの弾くラリー・カールトンばりのエレキギターが格好良い。

レコーディングスタジオでの唯一の息抜きは、短い食事の時間だった。
食事と言っても外に食べに行くわけではなく、スタジオで出前を取ることが殆どだった。
また全員が同じタイミングで食べられるわけではなかったので、出前のメニューも延びてしまう麺類は基本的にNG。
必然的に弁当か揚げ物系になってしまうことが多かった。しかもそんな脂っこいものを深夜に食べるものだから、レコーディングの期間中はいつの間にか体重が増えてしまっていた。

出前でミュージシャン、スタッフに人気があったのが、信濃町ソニースタジオの1階に入っていたレストラン「VEGA」のオムライスとにんじんリンゴジュース。
特ににんじんリンゴジュースはNo.1の人気メニューだった。ぼくもにんじんリンゴジュースを飲むのが信ソでの楽しみのひとつだった。

それと当時はレコーディングと言えば煙草が当たり前の時代だった。
スタジオにいるほぼ全員が煙草を吸っていた。勿論ぼくもその中の一人で、レコーディングになると緊張からか、普段の3倍ぐらいの本数を吸っていた。
町支さんはコーラスダビングの最中に、狭いボーカルブースの中で歌いながら矢継ぎ早に煙草を吸うものだから、ブースの中が白く煙って本人の姿が見えなくなるほどだった。 それでいてあの美声のコーラスを決めるのだから、ぼく達は感心するしかなかった。

アルバムタイトル曲でもある「J.BOY」は、ぼくと江澤くんの共同アレンジ。
アレンジをするにあたりまず決めたことは、リズムはタイトなエイトビートにして、その上にホーン・セクションを入れようということで、江澤くんの家で二人でリズムのコンビネーションやホーンのフレーズを考えた。

「J.BOY」は同じコードの展開が続く曲だったので、途中ベースソロを入れたり、クラビネットを入れたりして、サウンドに起伏を付けるようにした。
サウンド的にはイントロのツインリードギターと、間奏のギターソロからサックスソロにバトンするところがスリリングで気に入っている。
ただホーンセクションがミックスの段階で、かなりレベルを下げられてしまって、サウンドのダイナミズムが減少してしまったのがちょっと残念だった。

「AMERICA」は町支さんアレンジ。
ザ・バーズを彷彿とさせる12弦ギターのフレーズがとても印象的なナンバー。
町支さんが弾いたのは、リッケンバッカーのエレクトリック12弦ギター。
ぼくはヤマハDX5シンセサイザーで作ったオルガンの音色をプレイした。
「AMERICA」のサウンドの鍵を握っているのは、町支さんの多重録音によるコーラスと、リッケンバッカーの12弦ギター。

「思い出のファイアー・ストーム」「悲しみの岸辺」「晩夏の鐘」「A RICH MANS GIRL」は江澤くんのアレンジ。
アルバムの前半は江澤くんのアレンジした曲が続くせいか、彼のカラーが色濃く出ている。
江澤くん&ドラムの高橋さんの新リズム隊コンビも、ノリがバッチリ決まっていて心地良い。
このあたりの曲は、ぼくの演奏もシンセサイザー全開といった感じで、殆どシンセでプレイしている。

「思い出のファイアー・ストーム」のイントロとアウトロの箇所で、印象的なパーカッションを演奏しているのはペッカーさん。”シモンズ”というシンセドラムを使ってプレイしている。
ペッカーさんとは、88年渚園でのA Place In The Sunでも一緒にステージに立った。

「悲しみの岸辺」で登場するフリューゲルホルンの音色は、イミュレーター2というサンプリングマシンでサンプリングしたもの。間奏とエンディングで登場するフリューゲルホルンの音色によるソロは、江澤くんが鍵盤で弾いている。

「晩夏の鐘」はインストゥルメンタルナンバー、ぼくと古村くんと江澤くんの三人だけで演奏した。
この曲も 江澤くんの弾くシンセベースがいい味を出している。

この頃はシンセサイザーのマニピュレーターという職種の人がいて、スタジオに山のような機材を持ち込んで、音色を作ったり打ち込みのデータを作ったりしていた。
J.BOYのレコーディングでは梅原篤さんという方が、マニピュレーターでぼくとタッグを組んだ。
使用したシンセは、オーバーハイムOB-8、 プロフィット5、ミニ・ムーグ、イミュレーター2等々。

86年当時の流行だったとはいえ、 アルバムJ.BOYには今聴くとびっくりするぐらいたくさんのシンセの音が入っている。

「DOWN BY THE MAINSTREET」のレコーディングの時は、フェンダー・ローズ・エレクトリックピアノやハモンドB3オルガンといった、本物の楽器を使っていたのに、J.BOYのレコーディングでは殆ど使っていない。今思えば「何で?」と首を傾げたくなるが、86年当時はやはりそういう時代だったのだろう。

「勝利への道」や「路地裏の少年」での古村くんによる躍動感溢れるアレンジも、他のメンバーのアレンジと違って、イギリスっぽいアプローチで古村くんらしい尖ったサウンドが格好良い。
「路地裏の少年」もとても長い曲になったため、リズム録りは大変だった。1テイク録り終える毎に、どっと疲れたのを覚えいてる(笑)

ぼくがこのアルバムで一番好きな曲は「19のままさ」。
浜田さんの書くプロテスト・ソングも嫌いではないが、ぼくは浜田さんのメロディックでセンチメンタルな雰囲気の曲が特に好きだった。
「19のままさ」は町支さんのアレンジも素晴らしくて、ぼくは町支さんの考えたイントロのピアノのフレーズを、レコーディングの時に感動しながら弾いた。

「八月の歌」と「こんな夜はI MISS YOU」も 町支さんのアレンジ。
 「八月の歌」では、ぼくはアコースティックピアノを弾いた。シンセは福ちゃんこと福田裕彦さんが演奏している。

「こんな夜はI MISS YOU」は町支さんとドラムの高橋さんの共同アレンジ。高橋さんはリズムマシンのプログラミングを担当した。
過酷なツアーのヒトコマを描いた小品だが、ぼくはとても好きな曲。

J.BOYのレコーディングは締め切り日が決まっていたため、終盤になると大忙しとなった。時には二つないし三つのスタジオで作業が同時進行していて、あるスタジオでダビングが終了したばかりのテープを、エグゼクティブ・プロデューサーの鈴木幹治さんが抱えて別のスタジオに持って行き、そこで待機しているミュージシャンがそのテープにダビングしたりと、終盤は綱渡りのようなレコーディングが続いた。

レコーディングの最後のほうは、自宅からそう遠くない目黒川近くのスタジオでのダビングが多かったので、ぼくは自転車でスタジオに通った。

長かったレコーディングも終わり、最終ミックスはロスアンゼルスで行うことになっていた。
アレンジを担当したぼく達バンドのメンバーも、当然ミックスに同行するものだとばかり思っていたのだが、ミックスには浜田さん以外には事務所とレコード会社のスタッフ、カメラマン等が同行することになり、ぼく達はミックスに立ち会うことが出来なかった。
何だか腑に落ちないものを感じながら、ぼく達はレコーディングした音を渡米するスタッフに託した。

ロスでのミックスを終えた音を聴いて、ぼくは複雑な気持ちになった。
ミックスを担当したのは、ジャクソン・ブラウンやTOTO、ドン・ヘンリー等のアルバムのミックスを手がけていたグレッグ・ラダニー。
ぼくはジャクソン・ブラウンの「The Pretender」や「Running On Empty」等のアルバムの音がとても好きだったので、大いに期待してグレッグのミックスしたJ.BOYを聴いた。

グレッグのミックスしたサウンドは、タイトで音像がくっきりとしていてリバーブも浅めで、確かにLAっぽい乾いた音をしていたが、いかんせん全体的に小じんまりとしていた。
そしてぼくがアレンジした際にイメージしていたサウンドとは少し違っていた。

J.BOYが完成して少し経った夏のある日、ぼくは下北沢で浜田さんとばったり会った。
お茶でも飲もうと言うことになって、近くの喫茶店に入った。
自然と話題はロスでのミックスを終えたばかりのJ.BOYのことになった。
浜田さんから感想を聞かれたぼくは、アルバムを聴いて自分が感じたことを率直に伝えた。

そんな経緯もあってかどうかは分からないが、J.BOYは1999年にリミックス、リアレンジ、リマスタリングが施されてリイシューされた。
その内容は86年版のオリジナルバージョンのJ.BOYとは別物と言っていいぐらいにかなり違っていて、ぼくは99年版を聴いてますます複雑な気持ちになった。

二枚組アルバム「J.BOY」は、86年9月4日に発売されると4週連続でチャートの一位になった。
ツアーに出ていたぼく達は、初のアルバムチャート一位獲得の知らせを旅先で聞いた。
初の一位獲得で沸き立つ周囲の喧噪をよそに、ぼく達は快挙の知らせをまるで人ごとのように感じていた。

J.BOYは今の耳で聴くと結構ポップな印象を受ける。そして全編を通して伝わってくる勢いが凄い。サウンドに悔いは残るが、浜田さんのシンガー/ソングライターとしての創造力と、バンドの勢いが最初のピークに達した作品だと思う。

2016年11月に"J.BOY" 30th Anniversary Editionが発売される。
オリジナルバージョンの86年版J.BOYも、リマスターが施されて2枚組アナログ盤でリイシューされるとのこと。
今回のリマスターで、どこまで音質が向上しているか楽しみだ。

J.BOYツアーパンフより。