2016/08/13

バンド編 #5  野音リヤカー事件 

バンド編#5です。

昭和51年の夏、19才だったぼくは銀座の東芝ビルの屋上に設置されたビアガーデンで演奏していました。
熱海のバンマスの紹介で「Coast」というバンドに加入して、そのバンドでアルバイトでビアガーデンでの生演奏をしながら、庄野真代さんのバックバンドの仕事等も兼任するという日々を過ごしていました。

今回はその時に起こった、何ともやるせない出来事を思い出してみようと思います。

++++++++++++++++++++++++++++++++ 

1976年の夏休みも終わりに差し掛かった頃、日比谷野外音楽堂(注1)でのイベントに庄野真代が出演する仕事が入っていて、ぼく達はビアガーデンに置いてある機材を野音まで運んで、現地で真代さんと合流するという予定になっていた。
8月22日の日曜日、野音での本番の日がやってきた。もう8月も終わりになろうとしているのにその日はとても暑い日で、午前10時の時点で気温はすでに30度を超えていた。

銀座東芝ビルの一階の裏手にある、機材搬入口の前で待ち合わせをしたぼく達は、そこで運転手のサコタさんが調達した2トントラックが到着するのを待つことになっていた。そのトラックに楽器を載せて野音まで行くのである。

 ビアガーデンのある東芝ビルと日比谷野外音楽堂までは、車だったら10分もあれば着ける距離だった。
待ち合わせの時間に早めに到着したぼくは、他のメンバーが到着するのを「カレント」(注2)を吸いながら待っていた。やがてギターの佐藤がやって来た。「おはよう、暑いね〜。他のみんなはまだ?」やや二日酔い気味の佐藤が眠そうな目で聞いてきた。

「そろそろ来るころじゃないかなぁ。ところで佐藤くんメシくった?」などとたわいもない会話をしながら、ぼくと佐藤はみんなの到着を待った。しかし、ここから事態はとんでもない方向に展開してゆくこととなる。

待ち合わせの時間を過ぎてもいっこうに誰も来る気配もない。
ぼくと佐藤は顔を見合わせてどちらからともなく言った。「待ち合わせ場所ってここで合ってるよね。それにしても遅いなぁ。」メンバー達が来ないのも気がかりだが、運転手のサコタさんが来ないことには楽器を積むことも出来ない。やがて30分が過ぎたが、一行に誰も来る気配が無い。
「それにしてもおかしいな?今までこんなに誰も来なかったことはないよ。板倉ちょっと四季(ビアガーデンの名前)に行って確認して来てくれる?」「うん、ちょっと見てくる。」ぼくは屋上の四季に行った。ひょっとしたらぼくと佐藤の勘違いで、屋上に集合している可能性もあると思ったからだ。

しかし屋上の方にも誰も来ていなかった。「佐藤くん、おかしいよ。みんなどこ行っちゃったんだろう?マネージャーのトミタさんは野音に直入りするって言ってたけど。」「う〜ん、何か連絡ミスがあったのかな?とりあえずオレ達で楽器を下に降ろしておこうか。このままじゃ入り時間に間に合わなくなりそうだし。」「そうしますか。」この炎天下の中、ぼくと佐藤の二人で楽器を下まで運ぶハメになった。幸いなことに昨夜のステージの後に楽器はケース(注3)に入れてまとめてある。

搬出入用のエレベーターで楽器を下まで降ろした。思ったよりも大変ではなかったが、もう全身汗びっしょりである。ビルの一階の隅に邪魔にならないようにして楽器をまとめ、さらにサコタさんの到着を待った。
やがて一時間が過ぎた。「板倉、もう移動しないとホントにやばいぞ。入り時間に間に合わなくなる。」「でもどうするの?この楽器。オレ達クルマないよ。」「四季の支配人にクルマ借りられるか聞いてみよう。オレ聞いてくるからお前はサコタさんに電話してくれ。」「うん、分かった。」

隣りの数寄屋橋ショッピングセンター(注4)の公衆電話からサコタさんの家に電話をする。しかし何回かけても誰も出ない。マネージャーのトミタさんの家にもかけてみるが、やはりもう出かけた後なのか誰も出ない。他のメンバーの家にもかけてみる。「あっ、宮沢さんのお宅ですか?板倉と申しますがヒロミツさんいらっしゃいますか?」宮沢さんの家族とつながった。
 
家族の話によると宮沢さんはさっき家を出たそうで、野音に行くといっていたらしいことがわかった。どうも何らかの連絡ミスで東芝ビル集合組と野音直入り組に分かれてしまったらしい。と言うことはぼくと佐藤が東芝組?
それにしてもサコタさんが直接野音に行くことは考えられないし、事故にでもあったのだろうか?

とにかくぼくと佐藤の二人だけで楽器を野音まで運ばなければならない確率が、非常に高くなったことだけは確かなようだ。
「だめだったよ、車無いって。四季の支配人に随分頼んだんだけど今出払っていて一台も無いって言われたよ。」「どうしよう、佐藤くん。もう時間ないよ。」滴り落ちる汗をぬぐいながらぼくは言った。

「それでさ、支配人が車はないけど、生ビールのタンクを運ぶリヤカーだったらあるから、それだったら使っていいっていうんだよ。」「えっ!?リヤカーって、あのリヤカーのこと?」「そうだよ。しょ〜がねぇからこうなったらリヤカーで運ぶしかないだろ。」
「いやだよ、オレ。絶対イヤだ!そんな恥ずかしいことするの。」暑さといらだちから、つい強い口調で佐藤にあたってしまった。

「そう言うなよ、オレだって恥ずかしいよ。でも今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。とにかく野音までこの楽器を運ばないと大変なことになるぞ。」「そうだよね、ゴメン。とにかくやるしかないよね。」
佐藤がどこからかリヤカーを持ってきた。「結構デカイよ、このリヤカー。これなら楽器全部乗るな。」

ぼく達は大きな板張りの荷台の付いたリヤカーに楽器をすばやく乗せた。「なんとか乗ったね。オレ、支配人に挨拶してくるからちょっと待ってて。」再び佐藤が屋上まで行っている間も、ぼくは他のメンバーが来ることを期待していたが、やはりというか誰も来なかった。

「支配人に事情は話しておいたから。サコタさんが来たら野音に行くようにも頼んでおいた。」「じゃぁ、出発しますか。」ぼくと佐藤は野音まで銀座のど真ん中をリヤカーに楽器を乗せて運ぶハメになってしまった。しかも楽器はケースに入っているとはいえ、アンプなどはむきだしのままである。
「佐藤くん、これ持ち上がんないんだけど。重いよこれ。」「なんだよ、情けねぇな。貸してみ。あれっ?上がんないな。」荷台に積んだ楽器の重さで前の把手の部分がなかなか持ち上がらない。
「でしょう?二人でやってみようよ。」二人がかりでようやくリヤカーは持ち上がった。が、今度はバランスを崩してリヤカーの後部が地面についてしまった。リヤカーというのはバランスをとるのが意外と難しい。
 
ようやくリヤカーを動かすことが出来たぼく達は、野音に向けてゆっくりと進み出した。数寄屋橋ショッピングセンターのガードをくぐり、日劇の前を二人でリヤカーを引きながら歩く。道ですれ違う多くの人達が怪訝そうな顔をして振り返って行く。死ぬほど恥ずかしい。

銀座のど真ん中を真っ昼間の炎天下に、リヤカーに楽器を乗せて引いているヤツはそういないであろう。
佐藤が前、ぼくが後ろから押すというスタイルで国鉄有楽町駅のガードをくぐったところでひと休みした。相変わらず行き交う人達の視線がイタい。思わず首にかけたタオルで汗を拭う。

「佐藤くん、こんどはオレが前になるよ。」「わかった、代わって。」前でリヤカーを引くのは、後ろから押すよりもずっと恥ずかしいということが、引き始めてすぐに分かった。とにかくまわりは見ないようにして、前だけを見て引いて行く。
日比谷の映画街を抜け、やがて皇居のお堀沿いに出た。そこにリヤカーを止め、コーラをがぶ飲みしてカレントを吸う。「佐藤くん、結構疲れるね。もう半分来たかな?」「半分は来ただろう。あと20分ぐらいで着くんじゃねぇか。」「そうだね、あと一息だ。頑張ろう。」日比谷公園を横目にひたすらリヤカーを引いて行く。この頃になるともう恥ずかしさはどこかに消えていた。
 
東芝ビルを出て数十分、ようやく野音の搬入口に着いた。もう上から下まで全身汗びっしょりである。
ぼく達のリヤカーの横にはアリス(注5)の楽器を積んだ4トントラックがデン!と横付けされている。ぼく達はその4トントラックの横にちょこんとリヤカーを止めた。4トントラックとリヤカー、なかなかシュールな光景である。
しかし野音にリヤカーで楽器を運んだのは、後にも先にもぼく達だけないだろうか?

そういった意味では歴史に名を刻んだことになるのかなぁ?などとしょーもないことを考えていたら、運転手のサコタさんがトラックで現れた。「悪い悪い、ちょっと遅れちゃってさぁ。四季に行ったらもう出たっていうんで慌ててこっちに来たんだけど、もう着いてた?」「もう着いてたじゃないですよ〜。いくら待っててもサコタさん来ないから、佐藤くんと二人でそこに置いてあるリヤカー引いてきたんですよ。」「エッ!?これで来たの?ほんとにゴメン!!ここから先はオレが運ぶからゆっくり休んでて。」もう言葉を返す気力もなかった。
 
ぐったりして楽屋に入ると、すでに他のメンバー達が来ていた。「おはよう!あれっ?二人ともびしょびしょだけど、どうしたの?」宮沢がリンゴをかじりながら聞いてきた。「あのねぇ〜、・・・。」ぼくはかぶりを振ると短パンとTシャツに着替え楽屋を出て、アリスのリハーサルが続くステージの横を通り、野音の客席のベンチに寝転がった。

バンドの爆音と蝉の声を聞きながら、ぼくはいつしか浅い眠りに落ちていった。

(注1)数々の伝説のライブが行われた都心のど真ん中にある野外音楽堂。
(注2)低タール、低ニコチンを売りにしたタバコ。今思えばたいして低タール、低ニコチンでもなかったような気も・・。
(注3)ケースといっても現在のような立派なものではなく粗末なものだった。
(注4)首都高速の下にある2階建ての複合モール。ぼくは数寄屋橋ショッピングセンターと西銀座デパートの違いが未だに分からない。  
(注5)谷村新司さんや堀内孝雄さんが在籍していたフォークグループチンペイ、べーやん、キンちゃんの愛称で親しまれた。  

こんな感じのリアカーだった(出典:Wikipedia)

日比谷野外音楽堂全景(出典:hibiya-kokaido.com)