2016/09/10

浜田省吾 #30 "I'm a J.Boy"

1986年9月、浜田省吾さんの二枚組LP「J.BOY」が発売になりました。
それと同時に過去に類を見ない大規模なコンサートツアーが始まりました。
今回はそんなON THE ROAD'86 "I'm a J.Boy"ツアーの話です。

++++++++++++++++++++++++++++++++

1986年9月4日京都会館から始まり、翌1987年4月6日の那覇市民会館で幕を閉じた浜田省吾「On The Road I'm A J.BOY」は、合計で85本のスケジュールが組まれていた。
そしてこのツアーから、ぼく達バンドにも大きな変更があった。

まず新メンバーとして、アルバムJ.BOYのレコーディングから加わったドラムの高橋伸之くんがツアーにも参加することになった。
そしてもうひとりのキーボードに梁邦彦くんが加わった。

また初めての試みとして、ホーンセクションがツアーにも帯同することになった。
メンバーは
トランペット:小林正弘
トロンボーン:清岡太郎
サックス:中村浩
そしてもう一人のサックスはおなじみ古村敏比古くんの4人。

他にもJ.BOYツアーで変わったことは、ベースの江澤くんが鍵盤ベースも使用する事になったこと。彼のポジションにはヤマハのシンセサイザーDX7がセットされて、ベースギターと鍵盤によるシンセベースを曲によって弾き分けると言う、当時としては画期的な試みに挑戦した。
今までもあまり語られることは無かったが、この時の江澤くんの試みはぼくは快挙だったと思っている。
現在に至るまでいわゆるベーシストで、ステージ上で鍵盤ベースをプレイする人物は殆どいないと思う。彼は天才的なものを持っていた。

ぼくの機材まわりも大きく変貌した。
まずそれまでのツアーで使用していた、KAWAIのエレクトリック・グランドピアノを辞めて、代わりにテクニクスから新たに発売されたデジタルピアノ「SX-PX1」を使う事にした。新たにぼくのポジションに「SX-PX1」が二台置かれることとなった。
テクニクスのピアノは、ぼくが実際に演奏してみて感じたフィーリングを何度もメーカーに伝え、ぼくの意見をフィードバックしてもらって、ぼくの好みのタッチと音色にチューニングしてもらった。おかげで素晴らしい音色と弾きやすいタッチのピアノになった。

シンセサイザーも一新した。新たにヤマハDX5とオーバハイム・エキスパンダー、そして時にプロフィットT8という布陣になった。

バンドの名前もそれまでの「His New Band」から約二年ぶりに「The Fuse」名が復活した。

ツアーは京都会館での初日を無事終え順調に進んでいた。
今回のコンサートは二部構成の毎回三時間超えの長丁場で、時には三時間半を超える事も珍しくなかった。
当時はまだ若かったとはいうものの、コンサートを終えた後の疲労感は半端じゃなかった。
ツアー中に一人でも倒れたらコンサートは成立しなくなる。
そのためぼくは今までにも増して、身体のケアに気をくばるようになった。
ツアー中に羽目を外すことも勿論あったが、ツアーが終了するまではコンサートの無い時でも常に緊張感を持って過ごしていた。

新しく加入したバンドメンバーとの関係は良好だった。ぼくもキーボードの梁くんとプラベートでも一緒に食事に行ったりする仲になった。
梁くんのクレバーでおおらかな人柄はすぐにみんなから好かれるようになった。

ドラムの高橋くんとはJ.BOYのレコーディングを共にしていたので、すでに気心知れる間柄になっていた。
彼の生真面目な性格はドラムのプレイにも良く現れていて、その一糸乱れぬビートはバンドのサウンドをよりタイト&シャープにした。

J.BOYツアーの中でもぼくがひときわ印象に残っているのが、1986年10月20日、ぼくの30才の誕生日に松本市社会文化会館で行われたコンサート。

10月14日富山、15日福井、17,18日長野でのコンサートを終えたぼく達は、19日は松本への移動日でオフだった。そこでメンバーのうちの何人かは一旦東京に戻る事になった。
東京への戻り組はぼくと江澤くん、古村くんと梁くんの四人だった。

次の日、松本までぼく達四人は一台の車に便乗して中央高速を快調に走っていた。
すると途中で事故渋滞に巻き込まれて、まったく動かなくなってしまった。でもすぐに渋滞は解消されるだろうと、まだこの時点では高をくくっていた。時間はまだたっぷりあった。
午後三時までに会館に着けば大丈夫なので、気持ちにもゆとりがあった。

しかし一時間経っても一向に渋滞は解消されないどころか、わずか数キロしか進まない。
松本まではまだかなりの距離があった。
やがて二時になり、やがて会館入りのリミットである三時を過ぎてしまった。
高速を降りて下道を走ることも考えたが協議の結果、下で行ったら開演時間には間に合わないだろうという結論に達した。

どうにか最寄りのSAに入り、マネージャーの岩熊さんに電話で到着が開演ギリギリになってしまうかもしれない旨を伝えた。
18時過ぎ、ようやく会館に到着した。楽屋口で岩熊さんが仁王立ちで待っていた(笑)
客席はすでに開場していてたくさんのお客さんが入っていた。

結局この日は先に入っていたメンバーの簡単なサウンドッチェックぐらいしか出来なく、リハーサル無しで本番を迎えることとなってしまった。
しかしアクシデントがあった時のコンサートはなぜか盛り上がるもので、この日はいつにも増して熱いコンサートになった。

セットリストは以下のとおり。

1986年10月20日 ON THE ROAD'86 "I'm a J.Boy"(松本市社会文化会館)
1.A NEW STYLE WAR
2.HELLO ROCK&ROLL CITY
3.DANCE
4.AMERICA
5.A RICHMAN'S GIRL
6.想い出のファイヤーストーム
7.晩夏の鐘(インスト)
8.悲しみの岸辺
9.もうひとつの土曜日
10.勝利への道
11.路地裏の少年
休憩
12.反抗期
13.MAINSTREET
14.MONEY
15.DADDY'S TOWN
16.19のままさ
17.遠くへ
18.八月の歌
19.マイホームタウン
20.BIG BOY BLUES
21.J.BOY

アンコール:R&B Medley
You Can't Hurry Love(ザ・スプリームス)
〜A Thousand Nights(浜田省吾)
〜Unchained Melody(ライチャス・ブラザーズ)
〜Trying to Live My Life Without You(オーティス・クレイ)
〜Proud Mary(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)
〜Just One Look(ドリス・ トロイ)
〜Hold On I'm Coming(サム&デイヴ)
〜メンバー紹介(各々ソロ廻し)
〜The Land Of 1000 Dances(ウィルソン・ピケット)
〜土曜の夜と日曜の朝(浜田省吾)

"I'm a J.Boy"ツアーの白眉はアンコールのR&Bメドレーだった。
このメドレーのタイトルは出典によっていろんな記述がなされている。
「Sweet&Sour(スウィート&サワー) Medley」と表記されているものもあれば、「Sweet&Soul(スウィート&ソウル) Medley」と表記されているものある。
ぼくの記憶では後者だったような気もするのだが定かではない。

このアンコールでのR&Bメドレーは、浜田さんが十代のころに良く聴いたり歌ったりした曲をチョイスして、その中に自分のオリジナルのR&Bナンバーを織り交ぜるという趣旨のメドレーだった。

一曲目の「You Can't Hurry Love」から、途中メンバー紹介の各人のソロ廻しを入れて、最後の「土曜の夜と日曜の朝」までノンストップ、ビートが途切れることなく歌いっぱなし、演奏しっぱなしの約三十分にも及ぶメドレーだった。これは約三時間の本編を終えた後に演奏するのは本当にキツかった。

この日のアンコールでとても嬉しかったのは、メンバー紹介のソロ廻しの箇所でぼくの番になった時、J.Honesと命名されたホーンセクションの連中が即興で「ハッピーバースデイ」を演奏してくれて、それに乗せて浜田さんとお客さんが歌ってくれたこと。全くのサプライズだったのですごく感激した。

軽くメドレーの曲を紹介すると、「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」は1966年にスプリームス(シュープリームス)が発表した曲で、全米二週連続一位に輝いた。
1982年にはフィル・コリンズがカバーしてヒットした。

Unchained Melody(アンチェインド・メロディ)は1955年の曲だが、有名なのは1965年にライチャス・ブラザーズが発表したバージョン。
浜田さんもライチャス・ブラザーズのバージョンを、町支さんとのデュエットで披露した。

Trying to Live My Life Without You(愛なき世界で)は1972年にオーティス・クレイが発表した曲。メンフィスソウルのいかしたナンバー。

Proud Mary(プラウド・メアリー)は1969年にアメリカのバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)が発表した曲。
アイク&ティナ・ターナーやエルヴィス・プレスリー等、数多くのミュージシャンがカバーしている。

Just One Look(ジャスト・ワン・ルック)は1963年にドリス・ トロイが発表した曲。
リンダ・ロンシュタットがカバーしたことでも有名。

Hold On I'm Comingはサム&デイブが1966年に発表した曲。
全米R&Bチャート一位に輝いた。

The Land Of 1000 Dances(ダンス天国)はウィルソン・ピケットが1966年に発表した曲。オリジナルは1963年のクリス・ケナー。
ウォーカー・ブラザースやJ・ガイルズ・バンド等もカバーしている。

このR&Bメドレーは歌うのも演奏するのも本当にキツかったが、ぼくも大好きな曲ばかりだったので本当に楽しかった。

浜田さん初の二枚組No.1アルバムを引っ提げての、三時間半に及ぶロック絵巻を全国85本のツアーで披露する試みは、当時の日本の音楽シーンにおいて例を見ない桁違いのスケールのツアーだった。
そしてぼくもその中の一員であれたことを感謝すると共に誇らしく思っている。

あれから三十年、ぼくも今年で還暦を迎えるが、気持ちはあの頃と少しも変わっていない。

ぼくがJ.BOYツアーで使っていたテクニクスSX-PX1。  

J.BOYツアーのコンサートチケット。