2016/12/05

1987年のセッションワーク

今回は1987年のセッションワークについてお話したいと思います。
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1979年にぼくが浜田省吾のバックバンドに加入してから、必ず毎年全国を廻るコンサートツアーが行われていたが、1987年は初めて浜田省吾のコンサートツアーが無い年となった。
ぼくは5月にの末にアルバム「Club Snowbound」のレコーディングを終えた後、束の間の短い休暇をとってから精力的にセッションワークに勤しんだ。

87年6月は杉真理さんとEPOさんのコンサートに参加した。
杉さんとはそれまでも面識はあったが、一緒に演奏するのはこのときが初めてだった。
杉さんのバンド「ドリーマーズ」のキーボード奏者である島田陽一さんの代わりに、ぼくがトラ(代役)として加わる形でのコンサートだった。
杉さんとの最初のリハーサルはちょっと緊張したが、杉さんの持前の明るさに随分と助けていただいた。杉さんの音楽は前から大好きだったので、コンサートに参加することが出来てとても嬉しかった。
EPOさんとは初対面。何曲かバックで演奏させてもらったが、あまりご本人と話す機会はなかった。ぼくはEPOさんの曲も大好きだったので、バックで演奏することはやはりとても嬉しいことだった。

7月は沖縄出身の14歳の新人女性シンガー「GWINKO(吟子)」のバンドに参加した。
GWINKOは沖縄アクターズスクール出身のシンガーで、R&Bやファンクナンバーを14歳とは思えない歌唱力で軽々と歌っているのにはとても驚いた。
The Fuseのベースの江澤くんと一緒にGWINKOのバックバンドで、TBSテレビの「ライブ-G」や日本テレビの「11PM」等、何本かのテレビ番組に出演した。

8月はキティレコードの新人バンドのプロデュースを担当。箱根のスタジオで合宿レコーディングを行った。

9月と10月は中村雅俊さんのレコーディングと、本田美奈子さんの日本武道館と大阪城ホールでのイベント「MOTTO MOTTO DISPA 1987」に参加した。
本田美奈子さんのコンサートはとても大掛かりなもので、リハーサルだけでも二週間ぐらい行った。コンサートのゲストには少女隊とマイケル・ジャクソンの姉であるラトーヤ・ジャクソンも登場した。
そしてこの時のバンドはとても強力なメンバーが集まった。
メンバーは以下の通り。

Drums:Tony St. James
Bass:Bobby Watson
Guitar:大村憲司、堀越信泰
keyboards:Carl Evans, Jr.、板倉雅一
Percussion:金津ヒロシ
Background vocals:桂木佐和、清水美恵、高橋洋子

Trumpet:兼崎順一、寺嶋昌夫
Saxophone:包国充、Paul Suzuki
Trombone:村田陽一

ドラムのTony St. Jamesはアース、ウインド&ファイアーのボーカリストであるフィリップ・ベイリーのバンドのドラマー。
ベースのBobby Watsonはルーファス&チャカ・カーンのベーシスト。
キーボードのCarl Evans, Jr.は、ライオネル・リッチーのバンドのキーボーディスト。
三人ともアメリカ人の黒人ミュージシャンだった。

ギターの大村憲司さんは日本を代表する偉大なギタリストで、今回のサウンドプロデューサーでもあった。
コーラスの高橋洋子さんは松任谷由実さんのバックコーラス等を担当していた方で、後にエヴァンゲリオンの主題歌を歌って大ブレイクする。

ホーンセクションの兼崎順一さんと包国充さんとは、何度か浜田省吾さんのライブでもご一緒している旧知の間柄。村田陽一さんは言わずと知れた超有名なトロンボーン奏者。

そんなそうそうたるメンバーと一緒にやることになって、ぼくはかなり緊張していた。
リハーサルの初日、代々木のスタジオに行くと大村憲司さんがバンドのメンバーを一人一人紹介してくれた。
アメリカ人ミュージシャン達は当然日本語が話せないので、大村さんが流暢な英語で通訳をしてくれた。さすがYMOのツアーとかで世界を廻っている人は違うなぁ、とぼくは心の中で感心していた。

大村憲司さんはYMOのサポートギタリストとしても有名だったが、他にも数々のセッションを行っていた。
ぼくは1975年か76年に、東京の下町の三ノ輪という町にあったライブハウス「モンド」で、大村憲司さんのバンド「カミーノ」のライブを観たことがあった。
カミーノはギターが大村さんと是方博邦さん、ベースが小原礼さん、ドラムが村上ポンタ秀一さんと井上茂さんという超強力なラインナップのバンドで、当時はクロスオーバーと言うジャンルで呼ばれていたファンク系バンドだった。

ぼくはどんなサウンドやリクエストにも対応出来るように、リハーサルスタジオに山のような機材を持ち込んだ。
リハーサルが始まってもなかなか本田美奈子さんは現れなかった。ぼく達バンドは本人不在のままリハーサルを進めて行った。
アメリカ人のリズム隊コンビは強力だった。黒人ミュージシャンが生み出すグルーブは素晴らしく、絶対に日本人には真似の出来ない、しなやかなでうねるようなリズムを次々と繰り出して来た。
もう一人のキーボーディストのCarl Evans, Jr.のプレイとグルーブも強烈だった。ぼくは彼の演奏にすごくびっくりした。

後日、本田美奈子さんがゲストの少女隊の三人とラトーヤ・ジャクソンを伴ってリハーサルスタジオに現れた。
大村憲司さんがみんなにバンドメンバーを順番に紹介して行った。
勿論ぼくも紹介されて握手を交わした。間近で見る本田美奈子さんと少女隊の三人はとてもキュートだった。ラトーヤ・ジャクソンはマイケル・ジャクソンそっくりの顔立ちをしていた。ぼくはラトーヤと握手をした時ちょっぴり緊張した。

結局本田美奈子さんがリハーサルに参加したのはその一日だけだった。
やがて本番の日がやって来た。1987年10月2日、大阪城ホール当日の本番前にゲネプロが行われた。ゲネプロに現れた本田美奈子さんは、一回しかリハーサルに参加していないにもかかわらず、完璧に本番さながらのパフォーマンスを披露した。
勿論本番でも素晴らしい歌唱とダンスで観客を魅了した。

10月7日には日本武道館での公演が行われた。この日はビデオの収録とライブアルバムのレコーディングも行われることになっていた。
本田美奈子さんは武道館でも輝いていた。彼女はただのアイドル歌手ではなかった。
武道館でのコンサートも大成功に終わった。ただリハーサルから本番を通じて殆ど彼女と話す機会が無かったことが少し残念だった。

後日「DISPA!」と題された二枚組のライブアルバムと、コンサートの模様を収録したビデオが発売された。
ビデオにはバンドのメンバーは殆ど映っていなかったが、本田美奈子さんは勿論のこと、バンドの演奏も素晴らしかった。

ぼくは約半年間のセッションワークを終え、また浜田省吾のバンドに戻った。
10月の下旬から浜田省吾の新しいアルバムのためのプリ・プロダクションが始まった。
久しぶりに浜田さんとバンドのメンバーに会った時、ぼくは自分の家に帰って来たような安堵感に包まれているのを感じていた。

日本武道館公演の模様を収録したDVD。