2017/01/14

浜田省吾 #32 「FATHER'S SON」

今回は1988年3月16日に発売された浜田省吾さんのアルバム「FATHER'S SON」の話です。

++++++++++++++++++++++++++++++++ 

1987年10月28日、渋谷区初台のレオミュージックスタジオで、浜田省吾のニューアルバムのプリ・プロダクションが始まった。
プリ・プロダクションとはレコーディングする楽曲のアレンジを考えたり、サウンドの方向性を決めたりする作業のことである。

今回のレコーディングからバンドに新たなメンバーとしてキーボードの梁邦彦くんが加わって、レコーディングでもぼくと梁くんのツイン・キーボード体制で行くことになった。

プリプロの何日か前に、ぼく達は青山のロード&スカイに集合した。
楽曲のアレンジ担当者を決めるためのミーティングだった。

事務所に行くと、浜田さんがニューアルバムに収録する予定の曲の簡単なデモテープを作って来ていた。
バンドメンバーが全員集合すると、浜田さんがテーブルの上に10本のカセットテープを置いた。10本のカセットにはニューアルバムに収録予定の曲の簡単なデモが一曲ずつ録音されていた。

「アルバムに収録する予定のデモテープを作って来たので、みんなでテープを聴いてアレンジしたい曲を選んで欲しい。」そう言って浜田さんは、傍らのカセットデッキにデモテープを装填して一曲ずつかけていった。

約一時間程かけて全部のデモテープを聴き終えた。
各自アレンジしたい曲を選んで欲しいとのことだったが、大体の割り振りはすでに浜田さんの頭にあるようで、「この曲は梁くん、この曲は町支。」と次々と浜田さんからリクエストがあった。浜田さんからの要望で約半分の曲の割り振りが決まった。ぼくが浜田さんからリクエストを受けた曲はバラードナンバーだった。

残りの半分の曲はメンバーで話し合って、誰がアレンジを担当するか決めて欲しいとのことだった。
この後浜田さんはアメリカに旅立つので、帰国するまでにすべての分担とアレンジを完成させておいてくれと言って去って行った。

ぼく達バンドのメンバーは、残りの半分のデモテープを眺めながら誰がアレンジを担当するか話し合った。
今回のレコーディングは、新メンバーの梁くんをメインにやろうということになったので、必然的に梁くんの担当する曲が多くなった。

しばらくしておおよその曲の分担が決まったが、テーブルの上に一本のカセットテープだけが残った。
「この最後の一曲、どうする?誰がアレンジやる?」メンバーの誰かが言った。
「う〜ん、この曲だけどうも見えないんだよね。」また誰かが言った。最後に残った一曲はメンバー全員がアレンジを躊躇するような、ちょっとサウンドが見えにくい曲だった。
結局その一曲だけは誰も挙手をするものがいなく、浜田さんが帰国するまで放置されることとなった。

やがて浜田さんが帰国して、再び事務所でミーティングが開かれた。
「どう?残りの曲の分担決まった?」浜田さんが聞いて来た。
「それが一曲だけ誰もやりたがらない曲があって、まだ手つかずなんだ。」メンバーを代表して町支さんが言った。
「え?その一曲ってどれ?」浜田さんが聞いた。「そこに置いてあるカセット。」そう町支さんは言った。
浜田さんがそのカセットを手にとってデッキにセットした。やがてスピーカーからダークなトーンの曲が流れて来た。

「この曲は別に難しく考えなくても大丈夫。ダンスビートを刻むシンセベースと、タイトな生のドラムのグルーブが融合したリズムに、ハードなギターが絡んでくるようなアレンジにして欲しいんだ。そうだなぁ、板倉やってくれる?」
「えっ?オレですか!?」ぼくはびっくりして尋ねた。
「今回板倉のアレンジはまだ一曲だけだし、この感じは板倉が合っていると思う。」さらりと浜田さんは言った。
「分かりました、さっきの説明を聞いて大体の感じは掴めたのでちょっと考えてみますね。」

これでぼくがアレンジを担当する曲はバラードナンバーと、みんなが手をつけるのを躊躇した問題の曲の二曲となった。しかしその曲は結果的にアルバムの核となる重要なポジションを占める一曲となった。

1987年11月1,2,4日の三日間と、間に石渡長門くんのリハーサルを挟んで、11日と14日の計五日間、目黒のヤマハスタジオと初台のレオミュージックスタジオ、新宿のミュージックシティスタジオで、ニューアルバムのプリ・プロダクションを行った後、11月16日から信濃町のソニースタジオで、ぼくの担当する曲のレコーディングが始まった。

ぼくがアレンジを担当した曲は後に「NEW YEARS EVE」「DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)」とタイトルが付けられる2曲。
今回のアルバムのアレンジは町支さんが3曲、古村くんが1曲、ぼくが2曲、梁くんが4曲を担当することになっていた。

キーボードプレイヤーが二人になったことで、どちらがどの楽器を担当するか梁くんと話し合った。
基本的には自分がアレンジした曲は自分が弾くということになったが、曲によってはぼくのアレンジした曲で梁くんがピアノを弾いたり、梁くんのアレンジでぼくがピアノを弾いたりした曲もあった。
町支さんと古村くんのアレンジした曲でも、レコーディングをしながら楽器の分担を決めて行った。

ぼくは今回2曲だけのアレンジだったが、サウンドを考えるのに結構時間がかかった。特に「DARKNESS IN THE HEART (少年の夏)」は、浜田さんからの要望と自分のイメージするサウンドが合致するまで、何度も試行錯誤を繰り返した。
まずは打ち込みによるシンセベースのラインを考えることから始めた。8ビートでフレーズをシーケンスするようなクールなベースのラインを作った。そしてそれに呼応するようなタイトなリズムのドラムのパターンを考えた。
リズムの上に乗っかる楽器は、イントロとアウトロのテーマを吹くサックスとギターの掛け合いのフレーズや、間奏のブレイク部分やサビのバックで繰り返されるストリングスのライン等、細部に渡ってフレーズを譜面に書き込んだ。

レコーディングは断続的に1988年の1月の終わりまで続いた。ちょうどこの頃ぼくは幼馴染みでもある、石渡長門くんという新人のシンガーのレコーディングとライブも受け持っていたので、それこそ目の廻るような忙しさだった。渋谷のTake Off7とエッグマンで行われた石渡くんのライブは、江澤くんと古村くんにも手伝って貰った。

アルバム「FATHER'S SON」に参加した主なレコーディングメンバーは以下の通り。
ドラムス:高橋伸之
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二
キーボード:梁邦彦 板倉雅一
サックス:古村敏比古
トラッペット;小林正弘
トロンボーン:清岡太郎
パーカッション:ペッカー

他にも曲によってはゲストのミュージシャンに参加してもらった。
「NEW YEARS EVE」では、宮野弘紀さんにガットギターを弾いてもらった。この曲のアレンジは音数を少なくして、淡々とした中にも情感が溢れるようなイメージで作り込んだ。宮野さんの奏でるガットギターは、浜田さんのボーカルに寄り添うような素晴らしい演奏だった。

「FATHER'S SON」のレコーディングは、それまでのアルバムのレコーディングよりも更にアレンジを担当した者が中心になって行われたため、J・BOYの時よりもシステマチックに行われた。ぼくもすべての現場に居合わせた訳では無いので、自分のアレンジした曲以外の曲のリズム録りが終わって、しばらくしてスタジオに行くと、たくさんの楽器がダビングされていて驚いたことも多々あった。

1月末にアルバムのレコーディングが終わるとすぐにぼくは、石渡長門くんのレコーディングのため、箱根のレコーディングスタジオに向かった。約一週間のレコーディングを終え帰京した2月13日、信濃町ソニースタジオで、浜田省吾のニューアルバム完成を祝うささやかパーティが催された。

その二日後の2月15日から約一ヶ月の間「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」のためのリハーサルが始まった。
ぼくは浜田さんのツアーのリハーサルの間に、佐野元春さんのレコーディングにも参加した。

佐野さんがDJ を務めていたFM番組の中で企画・制作されたコンピレーション・アルバムに、石渡長門くんが参加することになり、ぼくも久しぶりに佐野さんのレコーディングに呼ばれることとなった。

ぼくが参加したのは石渡長門くんの「Rumblin'Around」と藤森かつおさんの「漂流者へ」の2曲。
佐野さんとのレコーディングはとてもエキサイティングで面白かった。佐野さんのレコーディングは、浜田さんのレコーディングとはやり方が全く違って、まず譜面というものが存在しなかった。

佐野さんが傍らに置いたリズムマシンのビートに合わせてギターを弾きながら、曲のコードを言って行く。そしてバンドのメンバー各自それをメモしながら進めて行くというやりかただった。

ぼくは普段やったことのないそのレコーディングの進め方に面食らって、最初はみんなについて行くのが精一杯だったが、他のバンドのメンバー(佐野さんのバンド、ザ・ハーランドのメンバー達)は、涼しい顔をして佐野さんの指示通りに演奏していた。でも次第にぼくもそのやり方に慣れて来て、最後の方はだんだんと楽しくなって来た。

浜田さんとは対照的なレコーディングのやり方だったが、後日完成した曲を聴かせてもらったら、非常にカッコいい仕上がりになっていて驚いた。
色々なサウンドプロデュースの方法があることをぼくはまた一つ学んだ。

浜田省吾のツアーのリハーサルは、3月9,10日の二日間、市川市文化会館での公開リハーサルを挟み、3月13日まで続いた。
そして1988年3月17日から1989年2月7日までの、約100本に渡るコンサートツアー「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」の幕は切って落とされた。

FATHER'S SONのレコーディングが行われた信濃町ソニースタジオの壁に書かれた
マイケル・ジャクソン直筆のサインの前で。