2017/05/22

松山千春 #2 1990年

今回は1990年の出来事です。

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1990年のぼくはとても多忙だった。
1月と2月は松山千春さんの「厚生団コンサート」と銘打った、全国7カ所の厚生年金会館でのコンサートツアーが開催された。
1/15〜23が都内でのリハーサル、1/27金沢、29名古屋、30大阪、2/1広島、2小倉、13東京、15札幌という日程だった。

厚生年金会館ツアーが終わると、今度は目黒のKey Stoneスタジオと箱根のSound Boxスタジオの2カ所で、石渡長門くんのデモテープのレコーディングが始まった。
箱根のスタジオは6日間の日程での合宿レコーディングだった。レコーディングのためのミュージシャンも一緒に箱根入りした。ベースは江澤くんにお願いをした。ぼくは再び江澤くんと浜田省吾さんのツアー以来、また一緒に演奏することが出来てとても嬉しかった。ドラムの大久保敦夫くんにも箱根まで来てもらって何曲か叩いてもらった。

3月も石渡長門くんのレコーディングが行われた。
3/4〜4/1までの間、再び場所をKey Stoneスタジオに移して、石渡くんのレコーディングが続いた。

4月からは松山千春さんの春のツアーがスタートした。全国29カ所32公演のツアーだった。
4月〜6月の3ヶ月間、びっしりとコンサートスケジュールが組まれていた。3ヶ月の間ほとんど旅に出ているような毎日だった。
その過密スケジュールの間を縫うようにして、レコーディングの日程が入っていた。TVアニメ「YAWARA!」のレコーディングだった。ぼくは劇中で流れる2曲のアレンジとサウンドプロデュースを担当した。内1曲は石渡長門くんの曲が採用された。

このレコーディングでは、主人公である猪熊柔役の声優の皆口裕子さんにも一曲歌っていただいた。とても好きな声優さんだったので、自分のアレンジした楽曲を歌ってもらえてぼくは光栄だった。

7月は「YAWARA!」のレコーディングの続きと、中森明菜さんのテレビ出演のためのバンドのリハーサル、石渡くんと同じくキティレコードの新人、吉井賢太郎(現ヨシケン)くんのデモテープのレコーディングと、千春さんのリハーサルが入っていた。

ひょんなことからぼくは中森明菜さんの、復帰第一弾のお手伝いをさせてもらうことになった。暫く休養していた中森明菜さんが、約1年3ヶ月ぶりに活動を開始して発表したシングル曲の「Dear Friend」を、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」で生演奏した。放映は8月22日だった。
当時はまだお台場ではなく、新宿にあったフジテレビのスタジオでのカメラリハーサルで、初めて明菜さんにお会いした。間近でお会いした中森明菜さんは、笑顔が素敵な美しい大人の女性だった。
ぼくは久しぶりのテレビの仕事に少し緊張したが、緊張している暇もなくあっという間に本番は終了してしまった。

8月は松山千春さんの野外イベントが、長野県の白馬と兵庫県の神戸で行われた。
白馬での野外ライブは、もの凄い迫力でそそり立つ北アルプスの山々がステージ上から見渡せるという、絶景の中での最高に気持ちの良いコンサートだった。
ぼくは本番までの時間、会場の横を流れる清流で水遊びをして過ごした。素晴らしく綺麗な川の水で、そのまま飲んでも大丈夫そうなくらい澄んだ水で恐ろしく冷たかった。天気も良くてぼくはすっかり日焼けしてしまった。

神戸六甲アイランドシティでの野外ライブは、東京から乗車予定の新幹線がトラブルで運行中止となり、急遽飛行機での移動となるハプニングもあって、会場への到着が本番直前になってしまったため、リハーサル無しのほとんどぶっつけ本番の中で行われたが、逆にそれが功を奏したのか、とても盛り上がるコンサートとなった。

8月の末には再び吉井賢太郎くんのレコーディングで、数日間箱根のスタジオに籠った。

9月になると、シンガーソングライター山本英美くんのリハーサルとライブがあった。英美くんとは、ぼくがお世話になっているイベンターの方からの紹介で知り合い、ぼくは英美くんのバンドのメンバーとして参加することになった。

9月後半からは千春さんの秋のツアーのリハーサルも始まった。
千春さんのリハの狭間の9月27日、吉井賢太郎くんのコンベンションライブが東芝EMIスタジオで行われた。この日のコンベンションライブは、レコード会社に対してのプレゼンテーションのための、オーディションのようなライブだった。スタジオの中に集まった観客はレコード会社の役職の方や、ディレクター、プロデューサー等全員が業界人。普段のライブとは全く違う異様なムードの中でのコンベンションだった。
ぼく達サポートバンドも、そのヒリヒリとしたムードを感じながらやや緊張しつつ演奏をした。

10月3日から松山千春さんの秋のツアー「男達の唄」がスタートした。3ヶ月で全国39カ所41公演を行うという超ハードなツアーだった。
ツアーの空き日だった10月15日には、ぼくの大好きなアメリカのカントリーロックバンド「POCO」の来日公演が、東京中野サンプラザで行われた。ぼくはずっと待ちこがれていたコンサートだったので、既にチケットも入手してこの日が来るのを楽しみにしていたのだが、ツアーの疲れからか風邪をひいて高熱が出て、POCOのコンサートに行くことが出来なくなってしまった。痛恨の事態だった。すごく残念だったが仕方がなかった。

まだ風邪が治りきらない10月21日、鈴鹿サーキットで行われたF1グランプリを日帰りで観戦しに行って来た。
初めて間近で観るF1カーの迫力とスピード、エンジン音にぼくはノックアウトされた。
当時ぼくは中嶋悟選手の走りに夢中だった。納豆走法などと揶揄されることもあった中嶋選手の走りは、生で観るのとTVで観るのとはまるで違ってもの凄く速かった。その走りはまるで敷かれたレールの上を走っているかのように、コーナーでも非常に安定していた。中嶋選手は全然遅くなかった。

11月は千春さんのコンサートと、山本英美くんのコンサートで息つく間もなかった。

12月もびっしりと千春さんのコンサートが入っていた。
12月6日に行われる高松での公演のため、ぼくは羽田から高松行きの飛行機に乗り込むと、機内で元チューリップの姫野達也さんとばったりお会いした。姫野さんはぼくが浜田省吾さんのバンドを脱退した後に、ぼくの後任のような形で浜田さんのツアーに参加していた。

ぼくは以前から姫野さんとは面識があったので、姫野さんの席まで挨拶をしにいった。
すると姫野さんは、浜田さんのコンサートのため高松に行くところだと言った。
何と同じ日に同じ四国の高松で、千春さんと浜田さんのコンサートが行われるということだった。ぼくはそんなことはまるで知らなかったのでとても驚いた。
この日、千春さんは高松市民会館、浜田さんは香川県県民ホールでの公演が予定されていた。

高松市民会館での千春さんのリハーサルが終わった後、ぼくは本番までの短い時間を利用して、タクシーを飛ばして香川県県民ホールに向かった。高松市民会館からはほんの数分程の距離だった。
香川県県民ホールに到着し楽屋にお邪魔すると、懐かしい顔ぶれの数々がぼくを迎え入れてくれた。浜田さんのところもちょうどリハーサルが終わったばかりで、みんなステージから楽屋に戻っていた。楽屋の廊下ではたくさんのスタッフが行き来していた。

バンドメンバーやスタッフ達との嬉しい再会を果たした後、ぼくは浜田さんの楽屋を訪ねた。
浜田さんもぼくをとても歓迎してくれた。浜田さんとは今年の冬に新宿厚生年金会館で会ったばかりだったので、そんなに久しぶりというわけではなかったのだが、東京ではなく旅先で会うと言うのはまた感慨深いものがあった。
短い時間ではあったが、ぼくはみんなと再会出来たことが凄く嬉しかった。

またタクシーを飛ばして慌てて高松市民会館に戻ったぼくは、興奮気味にそのことを千春さんのバンドのメンバーに話すと、バンドのみんなもとても喜んでくれた。

高松でのコンサートが終わって打ち上げから戻ったぼくは、どうしようか何度も躊躇したが、今日の感謝の気持ちを伝えたくて、思い切って浜田さんが宿泊しているホテルに電話をした。フロントに事情を話して浜田さんの部屋に繋いでもらおうとしたが、すでに浜田さん達は次の公演地である徳島に向けて出発してしまったとのことだった。
感謝の言葉を伝えられなかったのは残念だったが、出過ぎた真似をしてしまったかもしれないと、すでに後悔しだしていたので、浜田さんに電話が繋がらなかったことで、ちょっとホッとしたことも事実だった。

12月も札幌での最終公演まで絶え間なくコンサートが続いた。
クリスマスの札幌公演が終了して帰京し、ようやくぼくも一息つくことが出来た。

年の瀬を迎え、間もなく1990年も終わろうとしていた。
浜田さんのバンドを脱退し、千春さんのバンドに加入してもうすぐ2年が経とうとしていた。

松山千春さんのツアーにて。1990年頃。