2017/05/05

浜田省吾 #35 脱退

「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」ツアーが終わった後、ぼくは浜田省吾さんのバンドを脱退しました。今回はその話を。

++++++++++++++++++++++++++++++++

1989年の春、ぼくは約10年間在籍した浜田省吾のバンドを脱退した。

ぼくが浜田さんのバンドを脱退した時、随分といろんな噂を耳にした。中でも一番多かったのがぼくが当時新婚で、ツアーの度に家を空けるのが嫌だったからバンドを脱退したというもの。
全くのお門違いだった。ぼくは新婚ではなかったし、旅に出ることも別に嫌ではなかった。
他にも随分といろんな誹謗中傷の類いも受けた。謂れの無いことでぼくは傷ついた。
でもどれも的外れの噂話でしかなかった。

1988年3月17日からスタートした「ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON"」ツアーの後半戦が、9月12日の鹿児島市民文化ホールからスタートした。89年2月7日の大阪城ホールまでの計51本のツアーだった。途中体調を崩しかけた時期もあったが、前半戦と合わせて約100本、1年間に及ぶ大規模なツアーは無事終了した。
ただひとつだけ今までのツアーと違ったのは、自分でも説明のつかない苛立ちにも似た感情と、隣り合わせになりながらツアーを廻ったことだった。

ツアーが終わって間もなく、浜田省吾のニューアルバムのレコーディングスケジュールが組まれていた。今回もバンドのメンバーでレコーディングを行うことが決まっていた。
と、そこにベースの江澤くんがバンドを離れることになった、という知らせが舞い込んで来た。
ぼくは次のツアーもレコーディングも、現行のメンバーで行うものだとばかり思っていたので、この知らせは全くの寝耳に水だった。
ぼくはすぐに江澤くんに電話をしてどういうことなのか尋ねた。

ぼくは江澤くんのミュージシャンとしてのセンスと才能をリスペクトしていたので、彼の脱退はかなりのショックだった。彼とは10代のアマチュアの頃からの知り合いで気心も知れていたので、ツアー中も一緒に行動を共にすることが多かった。ぼくは江澤くん脱退の知らせを聞いてから、自分の中で何かが変わって行くのを感じていた。

他にもいろいろな事が幾重にも折り重なって、段々とぼくはそれまでと同じような気持ちを保つことが難しくなっていった。そして次第にぼくは浜田さんのバンドを辞めることを考え始めていた。
そんな風に思うようになったのは、江澤くんが辞めることになったことがきっかけではあったが、彼が抜けるから自分も、と言うような単純な理由では全く無かった。

浜田さんの音楽感との距離感、思っていることとやっていることの違いへの苛立ち、自分のアイデンティティとは?等々、そんなことを延々と逡巡していた。
今だったら笑い飛ばしてしまえるようなことも、当時のぼくには容易いことではなかった。

浜田省吾のバンドに在籍していることは名誉なことだったし、日本のシンガーソングライターの中では一番リスペクトしていたし、自分と浜田さんの価値観や感性が近いと感じていたし、浜田さんがぼくのことを信頼してくれていることも理解していたし、勿論そのことに深く感謝していた。

ぼくは約10年間浜田さんのバンドでキャリアを磨いて来て、ミュージシャンとしても一人の人間としてもとても影響を受け、そしてこの10年で自分なりにも成長出来たと感じていた。
このまま浜田さんのバンドにいれば、しばらくは安定した音楽人生を送れるだろう。しかしながら、それを許容出来なくなっている自分がいた。

ぼくはそんなことを何日も何日も考え、自問自答を繰り返し苦しんだ。そして結論を出した。
「浜田省吾のバンドを脱退しよう」。
全くのぼくの独断とわがままだった。

ぼくはぼくの中で複雑な知恵の輪のように絡んでしまった、ネガティブな感情が制御出来なくなってしまっていた。心身ともにとても疲れて果てていた。

ツアーが終わってしばらく経ったある日、ぼくは思い切ってそのことを浜田さんに告げた。
浜田さんはぼくの話をずっと黙って聞いていた。そしてやがて重い口を開いた。
「板倉の気持ちはよく分かった。でももう一度考え直して欲しい。」
涙が出るくらい有り難い言葉だった。
「本当にすみません、でももうぼくは以前のようなパッションを持てなくなりました。」
「パッションって?」浜田さんが聞いた。「情熱…みたいなことです。」

長い沈黙が続いた。

重い空気を取り払うように、同席していたR&SのT社長が一言言った。「板さん、少し休暇を取るような気持ちでいれば。そしてまた戻って来たくなったら来れば良いし。」
T社長の暖かい言葉に、ぼくは申し分けない気持ちでいっぱいになった。

ぼくが辞めることを知ったバンドのメンバー達は、とにかく一度みんなで話し合おうと言うことで、世田谷のとあるバーに全員が集まってくれた。
そこでぼくにもう一度思い直すように、また今まで通りに一緒にやろう、と言うことを夜を徹して説得してくれた。
またしてもぼくは涙が出そうなくらい嬉しかった。メンバーからの熱い言葉にぼくの心は激しく揺れ動いた。

ぼくは少しの間、自分の気持ちと対峙する時間をもらった。

レコーディングスタジオでは、すでにニューアルバムのレコーディングが始まっていた。
スタジオでもぼくのためにスケジュールを調整して待っていてくれた。もうこれ以上、各所に迷惑をかける訳にはいかなかった。

浜田省吾の音楽は大好きだったけど、このまま自分の気持ちを封印してバンドに残れば、きっとぼくは浜田さんの音楽を愛せなくなってしまうだろう。

自分のわがままでみんなに迷惑をかけてしまうことは、本当に申し訳なく心苦しかったけれど、やっぱりぼくはバンドを脱退することにした。
1979年7月に浜田省吾のバンドに参加してから、もうすぐ10年の月日が経とうとしていた。

1988年9月16日 熊本市民会館。
リハーサル前のサウンドチェック。