2017/07/12

1992年 上半期の出来事

今回は1992年の上半期の出来事です。 

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1992年は多忙な一年になった。

1月15日に福岡県甘木市のホテルセンチュリーヒルズにて、松山千春のディナーショーのアンコール公演が行われた。バンドは昨年行われたディナーショーと同じメンバーで、日本のトップミュージシャンが集結した。ぼくも重圧に押しつぶされそうになりながらも、何とか責務を果たすことが出来た。そして一応この日をもって、約三年間続いたぼくの松山千春さんのサポート業務は終了した。

福岡から帰京すると、レコーディングのオファーが来た。
TVアニメ「YAWARA!」のアルバムのサウンドプロデュースの話だった。「YAWARA!」の主題歌や劇中歌をリアレンジして英語、スペイン語、フランス語で歌うという企画アルバムで、後にアルバムタイトルは「YAWARA! COVERS!!」と名付けられた。
ぼくは永井真理子さんが歌った主題歌「ミラクル・ガール」等を含むアルバムの半分、5曲のアレンジとサウンドプロデュースを担当することになった。

リズムセクションのレコーディングのため、ぼくは伊豆高原にあるキティレコードのスタジオに向かった。
今回のレコーディングメンバーは、ドラムス:河野道生、ベース:
江澤宏明、ギターは:ウィリー中尾、キーボード、アレンジ&サウンドプロデュース:板倉雅一。後日ダビングでサックスを園山光博さんに吹いてもらった。

伊豆スタジオでレコーディングをした曲は5曲。
永井真理子さんの「ミラクル・ガール」、辛島美登里さんの「笑顔を探して~Meet Me Again With Smile~」、原由子さんの「少女時代」。
他にバージョン違いで「ミラクル・ガール」のスペイン語版と「少女時代」のフランス語版もレコーディングした。

レコーディングで数日間伊豆のスタジオに滞在した後、一旦東京に戻ると今度は石渡長門くんのデモテープのレコーディングのため、箱根にあるサウンドボックス・スタジオに向かった。
サウンドボックス・スタジオは、幾多の名盤がレコーディングされたことでも有名なスタジオである。

今回の石渡長門くんのレコーディングは、浜田省吾さんのバンドで一緒に演奏していたThe Fuseの高橋くんと江澤くんに手伝ってもらった。
スタジオに入って久しぶりに、高橋&江澤コンビのリズムセクションの演奏を聴いてぼくは胸が高鳴った。彼等二人が醸し出すその素晴らしいグルーブ感に、改めて浜田バンドのリズム隊は最高のコンビだったんだなと思った。

石渡くんの箱根でのレコーディング中に東京から一本の電話が入った。電話の主は浜田省吾さんのオフィス、Road&SkyのIさんからだった。
わざわざ箱根までぼくを探して電話してくるとは、一体なんの用件だろう?と思い電話に出ると、あるバンドからのプロデュースの依頼の話だった。
何でもバンドの所属するマネージメントオフィスが、ぼくにプロデュースのオファーの連絡をようとしたのだが、ぼくの連絡先が分からないということで、浜田さんのオフィスに連絡をして来たと言うことらしかった。ぼくは恐縮しつつ、この案件の橋渡しをしてくれたIさんに丁寧にお礼を言った。

ぼくがプロデュースすることになったバンドは、infixというロックバンドでメンバーは、ボーカル長友仍世ドラムスの:大神豊治、ギターの:佐藤晃、ベース:野間口浩の四人組福岡を中心に活動していたバンドということだった。

infixは92年の3月にアルフィーの坂崎幸之助さんのプロデュースで、1stアルバムをリリースしてメジャーデビューをしたばかりだった。そしてすでに2ndアルバムのレコーディングの話が進んでおり、そのプロデュースをぼくに担当して欲しいとのことだった。勿論ぼくはそのオファーを快諾した。バンドをプロデュースするのは初めてだったので、果たしてどうなるのかぼくはとても楽しみだった。

石渡くんのレコーディングを終えて東京に戻ると、今度はほぼ同時に二件のオファーをいただいた。
一つはシンガーソングライター山本英美くんの全国ツアー、もう一つはエピックソニー所属の女性シンガー、久宝留理子さんのライブサポートの話だった。
こんなに同時にいくつものことを出来るのか、ぼくは不安だったが断る理由は無かった。ぼくにオファーをくれた方達の期待に応えるよう、ぼくは全力で取り組む決意を新たにした。

とにかくぼくは目の前のことを一つずつ遂行していくことにした。先のことを考えると気が遠くなりそうだったので、先のことはあまり考えないようにした。

間もなく怒濤の打ち合わせの日々が続いた。今日はバンダイビジュアル(infixのレコード会社)のディレクター、明日はエピックソニーのディレクター、次の日はキティレコードのディレクターと言った感じで、ぼくはせっせと毎日違うレコード会社や音楽事務所に通った。連日の打ち合わせ結果、膨大な数の曲のアレンジをしなくてはならなくなったため、しばらくの間ぼくは自宅に籠りきりの日々が続いた。

「YAWARA!」のレコーディングと併行して、山本英美くんと久宝留理子さんのライブのリハーサルも始まった。ぼくは久宝さんのライブのサウンドプロデュースも任されていたので、楽曲をライブ用にアレンジする作業も加わって、ますます多忙を極めた。

山本英美くんのライブは、フルバンド編成での全国ツアーだった。
山本英美 "BOY-issue" Tourと題されたツアーは、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡で開催された。
バンドメンバーは、ドラムス:阿部薫ベース:恵美直也ギター:高橋圭一キーボード:板倉雅一コンピュータプログラミング:田辺恵二。そしてこの五人に山本英美を加えた六人編成のバンドだった。終始笑ってばかりのとても楽しいツアーだった。

ぼくはこのツアーの最中にもスケジュールの都合上、infixのレコーディングに向けて楽曲のアレンジ作業をしなければならない羽目に陥っていた。
英美くんのコンサートが終わって、旅先での打ち上げに繰り出すバンドのメンバーを横目に、ぼくは一人ホテルの部屋で黙々と譜面を書いていた。


英美くんのツアーの合間に、久宝さんのリハーサルのスケジュールが組み込まれていた。この時のぼくは英美くんのツアーから戻ると、久宝さんのリハーサルのため都心のスタジオへ、そしてリハが終わって帰宅してから、明け方まで諸々のアレンジ作業をすることの繰り返しだった。すでに頭と身体は悲鳴を上げだしていた
更にスケジュールの隙間を縫うように「YAWARA!」のレコーディングの日程が組まれていた。ぼくは家に帰ることが出来ず、度々スタジオに泊まり込むこともあった。

そしていよいよinfixのレコーディングもスタートした。レコーディングは世田谷の二子玉川からほど近い場所にある、スタジオ・サウンドダリで行われた。今回のレコーディングのチーフ・エンジニアは森元浩二くん。森元くんは石渡くんのレコーディングでも一緒の、ぼくが信頼をおいている若手のホープのエンジニアだった。

レコーディングに入る前にinfixのメンバー各々の力量を知りたかったのと、事前にぼくが書いた譜面に慣れて欲しかったため、メンバーとリハーサルスタジオでプリプロダクションを行った。
プリプロは思ったよりも難航した。バンドメンバーは譜面でのレコーディングに慣れていなかったため、ぼくがアレンジしてイメージしたサウンドを把握してもらうのに少々手間取った。
暫くはお互い手探りのような状態が続いたが、段々と意思の疎通が出来るようになってからはスムーズに進むようになって行った。

infixのレコーディングは数ヶ月の間続いた。それと同時進行で「YAWARA!」のレコーディングもまだ続いていた。レコーディングの期間中はずっと昼と夜が逆転したような生活が続いた。

レコーディングが続く中、久宝留理子さんのプロモーションビデオに出演することになった。メンバーは久宝さんとサックスの古村
敏比古くんとぼくの3人。「Go!Go!Everyday」と言う曲に合わせて演奏するシーンを撮影した。ぼくはビデオの中に挿入されるインストゥルメンタルのも作って、スタジオでレコーディングした。

それが終わるとすぐ久宝さんのコンサートが始まった。
久宝留理子さんのバンドメンバーは、ドラムス:大久保敦夫ベース:江澤宏明ギター:高村周作キーボード:板倉雅一サックス:古村敏比古コンピュータプログラミング:池田公洋。
バンドメンバーはぼくが選んで構わないとのことだったので、結果的に浜田省吾さんのバンドと、松山千春さんのバンドの混成メンバーのようなバンドになった。みんな百戦錬磨のミュージシャンばかりだったので、勿論出てくるサウンドは素晴らしかった。

92年の7月、仙台エルパークスタジオホールから始まった久宝留理子さんのコンサートは、年末の日本青年館でのクリスマスコンサートまで、日本中を駆け巡った。
ぼくは旅先の広島での束の間のオフを利用して、ギターの高村くんと宮島で海水浴を楽しんだ。

久宝さんのライブ、infixのレコーディングで寝る間も無いくらい多忙だったぼくの元に、また一つオファーが舞い込んで来た。
町支寛二さんがソロデビューすることになって、それに伴い全国ツアーを開催することが決まり、是非ともツアーバンドに参加して欲しいとの知らせだった。オファーは町支寛二さんが所属するロード&スカイからだった。正直ぼくは驚いた。

と言うのも、ぼくは浜田省吾さんのバンドを自分のわがまま辞めて行った輩な訳で、そんな人物にオファーをすることは、マネージメントサイドからしてみれば本意ではないのでは?などと余計なことを思ったりもしたのだが、それでもそんなぼくに声をかけてくれたことがとても嬉しかった。

再び町支さんと一緒にやれることはこの上ない喜びだったが、すぐに物理的な問題に直面した。スケジュールが合うかどうか、ぼくは関係各所に相談をさせていただき調整をする必要に迫られた。

目の回るような忙しさの92年の上半期が終わり、更に忙しくなりそうな下半期に向けてキチンと心と身体を整えねばと、ぼくは新たに気持ちを引き締め直した。


1992年春、伊豆スタジオ。YAWARA!レコーディング。