2017/08/11

1992年 下半期の出来事

今回は1992年下半期の出来事です。 

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そろそろ本格的な夏も始まろうかという暑い日に、ぼくは浜田省吾さんの事務所であるロード&スカイのIさんと、世田谷のイタリアンレストランでお会いした。町支寛二さんのツアーのオファーを兼ねた打ち合わせだった。
ちょうどこの時ぼくは、他にも同時進行していた案件があったので、町支さんのツアーに参加するためにはスケジュールの調整をする必要があった。

Iさんから町支さんのツアーやリハーサルの日程を確認すると、どうにか参加出来そうな感じがしてきた。ぼくは少し時間をもらって更に各所とスケジュールの調整をした結果、正式に町支さんのツアーに参加することが決定した。

その頃infixのセカンドアルバムのレコーディングも大詰めに来ていた。
infixのメンバーはそれぞれ個性的な連中で、ボーカルの長友くんはバンドのフロントマンらしく快活でよく喋る男だった。ギターの佐藤くんは一見淡々としているが、秘めたものを持っているバンドのまとめ役だった。
ベースの野間口くんは一番年下なせいか控えめな印象を受けたが、音楽的に長けたものを持った好青年だった。ドラムの大神くんはみんなのいじられ役で、なにかとちょっかいを出されていたが、プレイヤーとしては頑固なところのある練習熱心なドラマーだった。

ぼくは連日二子玉川のスタジオサウンド・ダリに通い詰めながらも、同時に町支さんの譜面や音源の資料の確認と、久宝留理子さんのアレンジもしなければならなかったので、圧倒的に時間が足りなかった。
そんな真夏の最中、ようやくinfixのセカンドアルバムが完成した。「Just A Hero」と名付けられたそのアルバムは、難産ではあったが充実した内容の作品になった。

infixのレコーディングが終わってから、92年の後半はツアー漬けの日々だった。
久宝留理子さんのツアー、町支寛二さんのツアーに加えて、ぼくはinfixのツアーにもキーボード奏者として帯同した。
更にその日程の隙間を縫うように、山本英美くんのコンサートも何本かあった。

ぼくは夏の間、久宝留理子さんのコンサートで全国を飛び回っていた。
久宝留理子さんのバンドメンバーは、ドラムス:大久保敦夫ベース:江澤宏明ギター:高村周作キーボード:板倉雅一サックス:古村敏比古コンピュータプログラミング:池田公洋。
久宝留理子さんの夏のツアーは以下の通り。

久宝留理子「Go! Go! everyday」ツアー
7月20日 仙台エルパークスタジオホール
7月23日 大阪 ミューズホール
7月25日 福岡 ビブレホール
7月26日 熊本 イエロースタジオ
7月28日 広島 ウイズワンダーランド
8月1日 名古屋 ハートランド
8月5日 札幌 メッセホール
8月7日 横浜 ビブレホール

久宝さんのコンサートのスケジュールが一段落した頃、町支さんのツアーのリハーサルが始まった。

一緒にツアーを回る町支寛二バンドのメンバーは、ドラムス:高橋伸之、ベース:関雅夫、ギター:水谷公生、キーボード:板倉雅一、キーボード:福田裕彦、サックス:古村敏比古
この6人に町支寛二を加えた計7人。新旧入り交じった浜田省吾バンドのメンバーが集まった。

ぼくはベースの関さんと一緒にやるのは初めてだったが、昔から面識はあったので不安は無かった。キーボードの福ちゃんは、浜田さんのレコーディングで一緒だったので以前からよく知っていた。他は長年一緒にツアーを回ったメンバー達だった。サックスの古村くんとは久宝さんのツアーでも一緒だったので、町支さんのバンドでも再び一緒にやることとなって嬉しかった。

町支さんのツアーの曲目は、初のソロアルバムからの曲を中心に構成されていたが、他にも何曲かの洋楽のカバーもあった。
約二週間程のリハーサル期間を経て、いよいよ町支さんのソロツアーが始まった。
「僕を呼ぶ声」というタイトルの付いたツアーは、10月22日名古屋 愛知勤労会館を皮切りに、11月11日の東京渋谷公会堂までの計7カ所での公演だった。
日程は以下の通り。

町支寛二「僕を呼ぶ声」ツアー
10月22日 名古屋 愛知勤労会館
10月24日 宮城県民会館
10月29日 札幌サンプラザホール
11月2日 広島アステールプラザ
11月3日 大阪厚生年金会館
11月5日 福岡電気ホール
11月11日 渋谷公会堂

初日の愛知勤労会館のコンサートに浜田省吾さんが来ていた。ぼくは楽屋で約一年半ぶりに浜田さんと再会をした。

昨年91年の2月12日、ぼくは千葉で行われた浜田さんのコンサートを観た。The Fuseを脱退してから初めて観た浜田さんのコンサートだった。
自分がステージにいない浜田省吾のコンサート観るのは、79年7月1日の新宿ロフト以来だった。

ぼくは客席のほぼ真ん中の席で観戦した。浜田さんのコンサートは素晴らしかった。しかしぼくはコンサートを観戦しながら、何とも言えない感情がこみ上げて来た。当たり前のことだが、自分がいた場所に違う人がいて演奏している。自分がいない浜田さんのステージを客観的に観られるようになるまでには、ぼくにまだ時間が必要だった。

町支さんのコンサートは中盤にアコースティックコーナーが設けられていて、たしか二曲程洋楽のカバーをやった。
一曲はビートルズの「I've Just Seen A Face(邦題:夢の人)」と、もう一曲はCSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)の「Find The Cost Of Freedom(邦題:自由の値)」だった。 
この二曲の時(ひょっとしたら一曲だけだったかもしれない)、ぼくは自分のキーボードの位置からステージ中央に出て行き、町支さんを真ん中にぼくと水谷さんの三人が高さのあるスツールに座って、横一列に並ぶ編成で演奏した。

演奏というかこの二曲に関してはぼくはボーカルだけだった。町支さんと水谷さんがアコースティックギターを弾き、ぼくは楽器を持たず手ぶらで歌った。長いミュージシャン活動の中で楽器を持たないで歌ったのは、この時と後は数える程しか無かった。

町支さん、水谷さん、ぼくの三人でのハーモニーは、自分でいうのも何だがなかなか格好良かった。
ぼくは歌いながら「CSN&YというよりもまるでGAROみたいだな。」と思っていた。
特に「Find The Cost Of Freedom」は、コーラスのみのほぼアカペラで、コーラスワークはとても難しかった。
今回の町支さんのコンサートでは、ぼくは浜田さんのコンサートの時よりもコーラスの比重が大きかった。

コンサートの後半はフルバンドでの演奏に戻り、アップテンポの曲が中心になって畳み掛けるような構成になっていた。
町支さんのボーカルとギターは、浜田さんの時とはまた違った感じでとても素晴らしかった。
今回のソロツアーでぼくは改めて、町支さんのボーカリスト&ギタリストとしての素晴らしさを再認識した。

11月5日の福岡公演に再び浜田さんが遊びに来た。この日は元チューリップのメンバーで、ぼくの後任のような形で浜田さんのツアーに参加していた姫野達也さんも来ていた。
楽屋はとても賑やかになった。

92年のコンサートの締めくくりは、12月18日に日本青年感で行われた久宝留理子さんのクリスマスライブと、24日のクリスマスイブに新宿で行われた山本英美くんのコンサートだった。二つともとても楽しくて素敵なコンサートだった。

目の回るような忙しさだった1992年もようやく終わろうとしていた。

町支寛二1992年のツアーパンフより。