2017/10/04

1993年の出来事

今回は1993年のことを。

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1993年から94年にかけては、ツアーとレコーディングの日々が続いた。
ぼくがツアーサポートで参加したアーティストはinfix、久宝留理子さん、町支寛二さん。
山本英美さん。

93年の前半はinfixのレコーディングで多忙だった。
ぼくは前作に引き続き、彼等の三枚目のアルバムのプロデュースも担当した。レコーディングは前作同様二子玉川のスタジオ・サウンドダリで行った。エンジニアも前作と同じ森元浩二くん。
参加ミュージシャンはinfixの四人+キーボードでぼく+サックスの倉富義隆くん他。
サウンド的には前作からの流れで、アメリカンロックっぽい部分をさらに押し進めた作品になった。

infixの楽器にも新たな顔ぶれが加わって、ベースの野間口くんはヴィンテージのフェンダージャズベースを、ギターの晃くんもヘッドアンプやエフェクター群を一新してレコーディングに臨んだ。
ぼくもこの時期、シンセサイザーやサンプリングキーボード等、機材を大量に導入してサウンド作りに勤しんだ。

今回のアルバムでは新たな試みにもトライした。メンバーによるアカペラの曲や歌のないインストゥルメンタルの曲など、今までとは違う新たなことにチャレンジした。
彼等はメンバー全員がボーカルをとれたので、コーラスはお手のものだった。そこで今回は今まで彼等がやったことのない、ドゥーワップ調のコーラスにもトライしてもらった。

インストゥルメンタルの曲は、ぼくとギターの佐藤晃くんの二人で書いた。ピアノとアコースティックギターだけの曲で、「Innocent Age」と名付けられた。結果この曲はアルバムタイトルにもなった。
アルバムタイトルはぼくが考えて、彼等やスタッフと協議した結果「Innocent age」に決まった。

アルバムに先駆けて4月にシングル「WINNERS FOREVER〜勝利者よ〜」がリリースされた。これはテレビアニメ「機動戦士Vガンダム」のエンディング・テーマに採用されて、スマッシュヒットを記録した。
この曲はシングル・バージョンとアルバム・バージョンではアレンジが異なる。シングルのほうはホーンセクションが入って、より派手な仕上がりになった。

1993年の6月にinfixの三枚目のアルバム「Innocent Age」はリリースされた。

infixのレコーディングが終了すると、すぐに久宝留理子さんのツアーが始まった。
93年になって久宝留理子さんのバンドは何人かメンバーが代わった。
ギターが高村周作くんから富塚和彦くんと長田進くんに、サックスが古村敏比古くんから
スマイリー松本くんにスイッチした。

長田くんとは佐野元春さんのレコーディング以来の再会だった。あの時はレコーディングスタジオでの一度限りのセッションだったが、今回は一緒にライブをやることが出来るので、音を出すのがとても楽しみだった。

久宝留理子さんの93年ツアーは以下の通り。
5月22日 銀座 SOMIDO ホール

5月23日 ヒューマンアカデミー大阪北校

5月30日 新宿 日清パワーステーション

6月8日 大阪 バナナホール

6月10日 新宿 日清パワーステーション

8月7日 神鍋高原特設ステージ

8月8日 名古屋港ガーデン埠頭

9月23日 新宿 日清パワーステーション

8月の神鍋高原特設ステージでのライブは、前日の夕方に東京からバスをチャーターして鈴木雅之さん御一行と一緒に移動した。バスは深夜大阪に到着した。
ぼく達は一旦大阪で宿泊して、次の日の朝早く神鍋高原入りした。

神鍋高原は兵庫県の豊岡市にある広大なリゾート地で、コンサートは野外の広場のようなところに特設ステージを組んで行われた。真夏だったので高原と言ってもとにかく暑かった。
ぼくは自分の楽器や機材が、暑さでどうにかなってしまわないかそればかり気にしていた。

ぼくは9月23日の日清パワーステーションでのライブを最後に久宝さんのバンドを離れた。ぼくにとって久宝さんとのラストライブはとても素晴らしいものになった。

久宝さんのツアーと併行して、7月から始まった町支寛二さんのツアーは前年と同じメンバーで行われた。
スケジュールは以下の通り。

町支寛二「ebb tideツアー」
7月9日  愛知勤労会館

7月15日 大阪厚生年金

7月20日 渋谷公会堂

7月22日 中野サンプラザ

町支さんのセカンドソロアルバム「ebb tide」のレコ発ツアーだった。

他にも山本英美くんのライブサポートや、「夏の日の1993」が大ヒットしていたClassのテレビ出演等のセッションワークもたくさん行った。

93年の後半は横浜銀蝿のボーカル、翔さんのソロアルバムのアレンジを担当した。
レコーディングの打ち合わせのため、ぼくは渋谷からほど近い三宿のとあるバーで初めて翔さんとお会いした。
ぼくの目の前に現れた翔さんはイメージの通り強面で、ぼくはお会いする前からかなり緊張というかビビっていた(笑)
でも音楽の話をしていくうちに段々と緊張もほぐれて来て、翔さんといい感じでレコーディングに入れそうな気がした。

今回、ぼくはアレンジャーとして全体を俯瞰していたかったので、あえて演奏には参加せずスタジオのコントロールルームの中で指揮を執る、プロデューサー的スタンスでレコーディングに臨んだ。

翔さんのレコーディングに参加してくれたミュージシャンは以下の通り。
ドラムス:大久保敦夫
ベース:美久月千春
ギター:高村周作
キーボード:友成好弘

ぼくはミュージシャンの人選も任されていたので、信頼する凄腕のメンバーに参加してもらった。

ドラムの大久保くんは直前の久宝さんのツアーでも一緒だった関係で、久宝さんのツアーが終わるとすぐに直でお願いした。
ベースのミックとはそれまでも何度かスタジオで一緒にレコーディングをしたことがあって、今回のレコーディングでもお願いをした。

ギターの周ちゃんとも千春さんと久宝さんのツアーで一緒だった。今回のレコーディングでも、素晴らしいプレイを披露してくれるに違いなかった。
キーボードの友成くんとは、浜田省吾さんの84年の横浜スタジアムでのコンサートで一緒にプレイをした仲だったので、今回久しぶりに声をかけて参加してもらった。

レコーディングはそんな旧知のミュージシャン達と、主に新宿のスタジオ・テイクワンで行われた。
ぼくは自分のアレンジした譜面を写譜屋さんと呼ばれる、譜面を清書してくれる方から受け取ってスタジオ入りした。
初めての方とのレコーディングの初日はやはり緊張するもので、翔さんも少しナーバスになっているのが伺えた。
スタジオには翔さんと、翔さんのお兄さんである横浜銀蝿のドラム担当の嵐さんも同席していた。

レコーディングのリズム録りは、全員名うてのミュージシャン達なのでスムーズに終わった。後日ストリングスやその他の楽器のダビングを行って、93年11月に先行シングル「色つきの恋がセピアに変わる」が、そして94年の1月に翔さんのソロアルバム「KINGDOM」がリリースされた。

ライブやレコーディングで1993年も慌ただしく過ぎて行った。
ぼくはそれまでフリーの立場で活動してきたのだが、ミュージシャンとしての活動に専念したかったのと、自分でマネジメントを行うことに限界を感じてもいたので、この年の後半からマネージメントオフィスに所属することになった。

また来年から新たな一歩を踏み出すべく、ぼくは気持ちを引き締めて直していた。

1993年8月7日神鍋高原特設ステージ。足元のペダルの数が凄い(笑)