2017/12/07

1994&95年の出来事

今回は1994年と95年のことを。

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1994年と95年の二年間、ぼくはほとんどツアーには出ずに、スタジオでのレコーディングワークに精を出した。そして93年の後半からすでに実務は開始していたが、94年から正式にマネージメントオフィスに所属することになった。
ぼくにマネージャーと楽器関係のスタッフが帯同してくれることになって、スケジュールのブッキングや調整、楽器の運搬等から解放されて、ぼくは音楽だけに専念することが出来るようになった。

94年の前半はロックバンドinfixの、4枚目のアルバムのプロデュースとレコーディングに明け暮れた。
ぼくはinfixの2枚目のアルバムからプロデュースを担当するようになって、今回で3作目となるアルバムは、彼等にとっても勝負の作品になるアルバムだった。
この頃のinfixはアメリカンロック的なサウンドを指向していて、ぼくも彼等の持ち味を充分に発揮出来るよう、レコーディング前から綿密なコンセプトを練った。
結果、なるべく余計な音は省いて、シンプルでタイトでギターを全面に出した音作りを目指した。

アルバムには初めてギターの佐藤晃くんと、ベースの野間口くんがリードボーカルをとる曲や、6管編成のホーンセクションが入る曲もあったりと、更に音楽の幅が広がったアルバムになった。
また、久しぶりにサックスの古村敏比古くんにも参加してもらった。

infixとのアルバムのレコーディングは3枚目ともなると、ぼくとメンバーとのコミニュケーションもよりスムーズになり、過去のアルバムの時よりもレコーディングは順調に進んだ。
ボーカルの長友くんの歌入れには少しナーバスになったりしたが、約半年近くに及ぶレコーディングの末、infix4枚目のアルバム「MOTHERLAND」は完成した。3部作の集大成とも言うべき堂々たる作品に仕上がった。
アルバムがリリースされると、チャートアクションも売り上げも過去最高を記録するスマッシュヒット作となった。

inifixのレコーディングが終わるとすぐに、今度は俳優で歌手でもある原田龍二さんのレコーディングが始まった。
ぼくはアレンジとキーボード、コーラスを担当した。レコーディングメンバーの人選も任されていたので、信頼しているメンバー達にお願いした。
原田龍二さんのレコーディングに集まってくれたメンバー達は以下の通り。

ドラムス:高橋伸之
ベース:美久月千晴、江澤宏明
ギター:鎌田ジョージ、増崎孝司
キーボード:板倉雅一、友成好宏
サックス:阿部剛
コーラス:町支寛二, 江澤宏明, 板倉雅一

レコーディングは世田谷のスタジオ・サウンドダリとクレッセント・スタジオ、東京ベイエリアの東雲にあった、布袋寅泰さんのスタジオでもあるIRC2 STUDIOで行われた。
主たるレコーディングエンジニアは、infixの3枚のアルバムでも一緒だった森元浩二くん。

ドラムスは高橋くん、ベースは江澤くんと美久月くんの浜田省吾チーム、ギターの鎌田くんは中村あゆみのバンドメンバー、サックスの阿部さんは尾崎豊のバンドメンバー、キーボードの友成くんは角松敏生のバンドメンバーという、凄腕のミュージシャン達でレコーディングを行った。
コーラスには元The Fuseの町支さん、江澤くんに参加してもらい、ぼくを含めた3人で担当した。久しぶりに浜田省吾さんのコンサートの時のコーラスを思い出したりもして、とても楽しいレコーディングだった。

他にも貞富英樹くんというシンガーソングライターのプロデュースも担当した。
こちらのレコーディングには高橋、江澤、板倉のFuseのメンバー+松山千春さんのツアーで一緒だったギターの高村周作くんに参加してもらった。

94年は他にinfixのライブサポートも担当した。

95年に入ると更にレコーディングのスタジオワークがメインとなった。
この年にぼくがレコーディングに参加したアーティスト達は、元The東西南北の久保田洋司、2人組のユニットThe Kids、声優の日高のり子、シンガーソングライターの青西高嗣、中国出身の三人組ダイヤオ、チャンチェン、リウジエ、元レベッカの古賀森男等、多岐にわたった。

久保田洋司くんとはアルバム「ピエロ」の制作で、共同プロデュースという形でレコーディングをした。ドラムの高橋くん、ベースの江澤くんにも参加してもらった。
町支さんには一人多重コーラスを入れてもらったりと、元The Fuseのメンバーとの交流は変わらずにずっと続いていた。

日高のり子さんのレコーディングはTBS系で放映されたテレビアニメ「OZキッズ」のテーマソングだった。
ぼくはアレンジとキーボードで参加した。
コーラスにシンガーソングライターの山本英美くんと、須藤薫さんに参加してもらった。須藤薫さんは80年代にCBSソニーから何枚ものアルバムをリリースしていた女性シンガーで、松任谷由実さんの「Surf&Snow」というアルバムでのコーラスワークが高く評価され、その後大活躍をされた方。
ぼくは薫さんの大ファンだったので、自分がアレンジしたコーラスパートを、薫さんに一人多重コーラスで歌ってもらって完成した時はとても感激した。まさにレコードで聴いていたあの声と素晴らしいコーラスワークだった。

青西高嗣くんのレコーディングは、アルバムのほぼ全曲をアレンジ&演奏することになり、アレンジをしている日にちがあまり無かったこともあってとても大変だった。
しかもリズム録りを一日か二日で全曲終えなければならず、レコーディングではとても集中して演奏した。おかげで緊張感のある良いパフォーマンスを記録する事が出来た。

このころぼくはスタジオ・サウンドダリのエンジニアである森元浩二くんと頻繁に一緒に仕事をしていた。久保田洋司くんのアルバムも森元くんのミックスだった。
ぼくは彼の作る音がとても好きだった。
青西高嗣くんのレコーディングも勿論森元くんにお願いした。森元くんらしい張りのある素晴らしいサウンドになった。

元レベッカの古賀森男くんとは同じ事務所だったこともあって、ぼくはレコーディングのみならず古賀くんのライブサポートにも参加するようになった。
古賀くんは自分のサウンドポリシーとビジョンをはっきり持っている人で、一緒にプレイしていても最初は少し戸惑ったが、直に彼の意図を汲み取ることが出来るようになって、それからはスムーズだった。

古賀くんはそれまでぼくが一緒にプレイしたどのギタリストとも違っていた。独特の個性溢れるスタイルとフレージングは本当に素晴らしかった。
ぼくは彼の人柄や感性にシンパシーを感じ、次第により親しくなっていった。
古賀くんと初めて一緒にレコーディングした曲は、マキシシングルのカップリング曲だった「BOY」という曲だった。
ぼくはアレンジとピアノとシンセ、アコーディオンをプレイした。ドラムは元フェビアンの熊倉隆くん、ベースは久しぶりに一緒にプレイした池間史規くん、そしてマンドリンを笛吹利明さんに演奏してもらった。

ホリプロダクションが手がけた、ダイヤオ,リウジェ,チャンチェンの中国新世代三人娘と名付けられたグループのレコーディングはとても楽しかった。ぼくはアレンジと演奏で参加。
ミュージシャンは、ドラムに高橋伸之くん、ベースは岡沢茂くん、ギターは高村周作くんにお願いをした。
リズム録りは東京で行い、ホーンセクション等のダビングはアメリカ西海岸のバーバンクで行われた。

他にも多くのレコーディングに参加したが、ぼくの場合はスタジオミュージシャンとして呼ばれていってプレイするというよりも、アレンジやプロデュース込みでプレイすることのほうが圧倒的に多かった。

また久しぶりに松山千春さんからお誘いを受けて、1995年3月26日に札幌で行われた
阪神・淡路大震災被災者支援コンサート「1995HANSHIN AID」に千春さんのサポートバンドとして参加させてもらった。
メンバーは、ドラムス:島村英二 ベース:岡沢茂 ギター:松原正樹、笛吹利明 キーボード:エルトン永田、板倉雅一
5月1日には同じメンバーでフジテレビ系「HEY!HEY!HEY!」ミュージック・チャンプにも出演した。

浜田省吾さんのネット配信による、デジタルカレンダーに付帯する音楽も、少しだけだが担当させてもらった。また浜田さん関連の音楽制作に参加することが出来て、ぼくはとても嬉しかった。

そしてこの時のことがきっかけとなって、再びぼくは浜田省吾さんのレコーディングに参加することになる。

久保田洋司レコーディング。スタジオ・サウンドダリ。